自我とは何か?なくてはならない邪魔者の正体

心の話
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こんにちは。くまの(Kumano@Rpgmg)です。

自我はエゴとも呼ばれます。

そのため、エゴイスト(自分の利益だけを求めて行動する人)を思い浮かべてしまうなど悪いイメージを持たれがちです。

今回の記事では、自我の役割や自我が邪魔になるときについて書いていきます。

記事の内容
  1. 心理学で言われる2つの自我
  2. 自我を邪魔だと感じる時
  3. 自我は必要か不必要か?
  4. 一般的に言われる5つの自我

心理学での自我とは?

簡単に書けば、心理学で言う自我は以下の2つです。

  1. 心の中の「天使(超自我)」と「悪魔(エス)」の調整役
  2. 自分らしさ、個性と認識している部分

エス・自我・超自我の中の「自我」

オーストリアの精神医学者ジークムント・フロイトは、人間の心を3つの構造に分けて説明しています。

  • エス:本能や欲求など、心の中の本能的な欲求や生理的な衝動を持つ部分(黒い心のイメージ)
  • 自我:エスと超自我を調整する部分。ここが「自己」だと認識されている(グレーのイメージ)
  • 超自我:道徳的で正しい理想を追い求める部分(白い心のイメージ)

例えば朝起きて体調が少し悪かったとします。ですが午後から大切な打ち合わせの予定が入っています。

そこで

  • エス(黒い心):今日はとにかく寝ていたい、仕事に行きたくない
  • 超自我(白い心):仕事に行けない程体調が悪いわけではない。今日は大事な仕事があるから休んではいけない

と、2つの考えが葛藤します。

それを調整し1つの結論を出すのが自我の役割です。

この場合なら、職場に遅刻する旨を連絡して午後から出勤しよう等、両方の意見を聞き丁度良い結論を考えます。

「自分」と認識しているのが自我の部分

上の例にあげた

「体調が悪いけれど大切な仕事がある」ですが、エスと超自我は出す答えのパターンが大体決まっています。

エス→休め、サボれ、寝ていろ
超自我→休んではいけない、迷惑をかけてはいけない

などです。天使と悪魔が戦っているような図式です。

一方、自我の答えは人によって違います

午前に病院に行き、午後から出勤という考えの他にも

「いっそのこと午後の仕事は後輩の〇さんに任せてみよう、良い経験になる」
「午前に出て体調が悪い所を実際に見てもらって早引きしよう」
「2-3日休暇をもらってしっかり回復させよう」

など、いろんなバリエーションがあります。

自分自身はもちろん他者から見ても、その自我の出した答えが「その人の個性」です。

自我が必要な理由

自我領域が狭ければ、心のグレー部分(=折り合いを付ける、大らかに考える)が少なくなります。

なので、エスと超自我の両方の意見を聞きながら適した行動をとるのが難しくなります。

白か黒かの二極思考が考え方の中心になります。それでは葛藤が多く頭も疲れやすくなります。

「割り切る」
「ほどほどに」

ということが簡単に出来ません。なので生きづらくなります。

自我が邪魔になる時

マズローの欲求5段階説というものがあります。下部の生理的欲求から自己実現欲求に向けて、人は成長していくというものです。

ご飯食べたい→危険な目に遭いたくない→みんなで仲良くしたい→一目置かれる存在になりたい

という順で、欲求が高次になります。

承認欲求が満たされれば、自己実現欲求を目指す段階に移ります。

自己実現欲求は、自分自身にこだわらない利他的な状態です。人も自分も「大勢の中の1人」で、全ての大勢はみんな「大切な1人」だと捉えます。One for all  All for oneですね。

自分にこだわらないので自己犠牲もしません。(自分も含めた)みんなの幸せを目指します。

この段階に、自分の象徴である「自我」があれば邪魔になります。

なので自己実現に到達するまでに、のたうち回る心の苦しみと共に自我をなくしていく期間があります。

自我実現と自己実現

自分の意識の範囲内で、自分のやりたいことに取り組む、なりたい自分になる、のが自我実現です。どうなるかを自分で決め目指していきます。

自己実現は、集合的無意識や無意識を含めて、望みを叶えていくものです。

自我がないので、何をやるかは自分で決めません。何かに導かれるように決まっていくという感覚になります。

自我肥大とは?

スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングの定義では、自我と宇宙が同一になったような一体感を覚える事による、異常な自己陶酔的と優越感を伴う心理状態を指します。

「私は宇宙の中心だ、否、私こそが宇宙だ」といった感じかもしれません。

結局自我はいる?いらない?

自我のシステムは生きていく上で絶対に必要なものです。

ここでいう「自我をなくす」は、自我はただのシステムに過ぎないと理解して「自分が」「自分は」という自我に振り回されるのではなく、上手くシステムとして使っていく状態です。

この記事では

自我がなければ二極思考になるので必要ですよと書きながら、
自我があれば自己実現の邪魔になりますよとも書いています。

結局いるの?いらないの? どっち? と、思われているかもしれません。

その答えですが、

最初は必要です。30歳~40歳くらいまでは自我をしっかり持っていた方が良いです。

人生の多くを経験し、欲求も満たし、自己実現を目指せるようになれば邪魔になります。具体的な年齢は40歳半ばあたりからと言われています。

そのあたりで大きな変化があり、苦しみながら自我を消していくというパターンがあります。「自分」とは実態がないただの「仕組み」に過ぎないという理解から、自我を消す作業が始まります。

発達段階で言えば、

ロバート・キーガン成人発達理論:発達段階5
インテグラル理論:グリーン後期~ティール

です。

育った環境により、もともと自我が少ない人がいます。

その場合若いころは二極思考に苦しみます。その後試行錯誤を繰り返し自力で二極を調整できるようになる人もいます。

自我、グレーの心自体がもともと少ないので、

「子どもっぽい二極思考」と「自己実現した出来人」の2つの面を同時に持ちます。

このタイプにとっての成熟は、二極思考を減らし、自己実現の部分を増やしていくことです。

このブログを読んでくださる方に、自我領域の少ないタイプは多いはずです。(類は友を呼びますので…)

一般的に使われる「自我」について

一般的に自我は、エゴ=自分勝手という使われ方をします。

個人にとっての自我は、消したいのに消せない部分を指します。心に制限をかける、真実を認めるのを邪魔している部分になります。

他の人からは、自己中心的に思える部分を、自我と見られます。

超自我の部分

自己否定してまでも理想を追い求める超自我の部分が、「いわゆる」自我です。(心理学的には超自我と呼ばれる部分が一般的に自我と認識されている)

超自我を叶えたい→自分ではない立派な何かになりたい→自己承認欲求(欠乏欲求)→自己中心的な考え

という原理です。

執着

何か執着したものがある時、それを否定されれば動揺します。

その動揺をごまかすために、感情を肥大させていきます。怒る、泣く、等です。

感情が大きくなるほどに、もっと刺激の強い大きなざわつきを求めます。自分の心を感情に支配させることに快楽を覚え、繰り返していくようになります。

このような執着はいわゆる自我になります。

思考・雑念

何かに集中したいのに、思考や雑念に捕らわれてそれが出来ない時に、それらを自我と呼ぶことがあります。

瞑想は、自我とどのように付き合うか、どう捉えるかといったことが課題とも言われています。

トラウマ

過去の辛い思いが、何かの行動の制限をかける事があります。通常なら平気な事が苦しかったり辛かったりします。

自覚のないトラウマならば、どうして自分はこの事に拘っているのか分からず、自我が邪魔しているように感じます。

選民意識

自分は選ばれた特別な人間だ、と思っているような人の持つ意識です。これは、自己肯定感や自信とは真逆の、不安や欠乏感からくるものです。

「自分は正しく他人は間違っている」という考えの元で言動がされますので、自己中心の極みの状態になります。

まとめ

  • 自我は白黒の極端な考えをまとめる大切な役割がある
  • 自我が出した結論が個性であり、「自分」と認識する部分
  • 自己実現は、自分をなくした利他的な状態なので、自我は邪魔になる
  • 最初は自我を持ち、成熟と共になくすのが理想
  • 「いわゆる」自我は、何かをしたい時にじゃまと感じるけれど消えない部分を言う
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