こんにちは。くまの(Kumano@Rpgmg)です。
家庭環境は、自我領域の広さ・大きさに強く影響を及ぼします。
私はセッションで自我領域の広さを見ることもありますが、自我の統合が上手く出来なかったために苦労している人が多いと感じています。
自我の統合が上手く出来ていないと自己否定の気持ちが生まれやすいからです。
今回の記事では、エリクソンのライフサイクル論と自我の統合について書いていきます。
自我の統合とは?
自我が統合されているメリット
ものすごく単純に言えば、自我が統合出来ている人は、
自分が自分だからOK、という自己肯定感を「普通に」持っています。(自己肯定感とはありのままの自分を肯定する感覚)
自我とは、人間の心を3つに分けたもののうちの1つです。
- エス:いわゆる黒い心の部分
- 自我:黒と白の調整役
- 超自我:いわゆる白い心の部分
例)冷蔵庫に誰かのジュースがあった。飲みたい!
- エス(黒):黙って飲んで知らないフリをしてしまおう
- 超自我(白):人の物を飲んではいけない。
- 自我(調整):持ち主に飲んでいいか聞いてみよう、近くの店に似たものを買いにいこう等
白い心・黒い心、両方の言い分を聞き、自分なりの最適解を出すのが自我の役割です。
この自我部分が出した答えは人によって違います。なので人はこの自我の部分を「自分」と認識しています。
この自我部分が少なければ極端な思考に振り回されます。0か100か、二極思考などです。
自我領域の広さとは?
- 超自我(白い心)と呼ばれる心の領域
- 自我(グレー)と呼ばれる心の領域
- エス(黒い心)と呼ばれる心の領域
の3つの心の領域のうち、自我領域がどれぐらい占めるのかの割合です。
超自我(白)・エス(黒)は誰もが同じ割合で持っています。
強引に数値化すれば、
- 自我領域が狭い人の例:超自我45:自我10:エス45
- 自我領域が広い人の例:超自我35:自我30:エス35
といった感じです。
自我領域が狭ければ二極思考になりがちなのはこのような理由からです。
エリクソンのライフサイクル論
エリクソンのライフサイクル論とは
アメリカ合衆国の発達心理学者エリクソン,E.H.により提唱された発達段階論です。
人の発達は、出生から死まで生涯にわたるものであり、社会との関係性によって進むという考えを元にしています。
人生を8つの時期に分けて論ずる「発達図式」
時期 | 年齢 | 心理的課題 | 得るもの |
乳児期 | 出生~2歳 | 基本的信頼vs不信 | 希望 |
幼児期前期 | 2~4歳 | 自律性vs恥と疑惑 | 意思 |
幼児期後期 | 4~6歳 | 自主性vs罪悪感 | 目的 |
学童期 | 6~12歳 | 勤勉性vs劣等感 | 有能感 |
青年期 | 12~22歳 | 同一性vs同一性拡散 | 忠誠性 |
成人期 | 22~40歳 | 親密性vs孤立 | 愛 |
壮年期 | 40~64歳 | 世代性vs停滞性 | 世話 |
老年期 | 65歳以降 | 自己統合vs絶望 | 英知 |
今回の記事では、乳児期~学童期に注目します。
エリクソンのライフサイクル論と「自我の統合」の関係
「どの発達段階の時期まで親が認め大切にしてくれたか本人が実感していたか」が、「自我が統合出来ている」自我領域に比例します。
つまり、
生まれた時から愛されていなければ、自我はほぼ統合されません。
大人になるまで愛され尊重されれば、自我がしっかり統合されます。
なので、親に認められずほとんど統合出来なかった場合は、後に自力で統合していくことになります。
学童期までの発達段階では、どの時期まで親(保護者)に認められたか、愛されたが重要です。そして無意識下での発達段階は認められた時期までで止まります。
そこから発達段階を進めるためには、内観をする、人生の課題・壁をクリアする、心の問題を解決するなど、意識して取り組んでいく必要があります。
その後自力で努力したり、周囲に支えられて発達段階が進んでも自然な形での自我の統合は止まった時のままです。
自我が少ない人の場合、試行錯誤を繰り返し自力で二極を調整できるようになる人もいます。
自我領域がもともと狭いので、
「子どもっぽい二極思考」と「自己実現した出来人」の2つの面を同時に持ちます。
このタイプにとっての「成熟」「発達段階を進める」とは、二極思考を減らし、完成された自我の部分を作り増やしていくことです。
自我の統合が止まった時期の特徴
乳児期(出生~2歳):基本的信頼vs不信
基本的信頼は、自分のありのままを受け入れてもらうことができるという「他人への信頼感」と、自分は大切にされる価値のある存在だという「自分への信頼感」のことです。
乳児期には、無条件の陽性ストロークと言われる、無条件に「あなたが大切」ととか「あなたがいて幸せ」といった存在そのものの肯定感が必要です。
それが根本的な自己肯定感や自信につながります。
この時期で発達段階が止まる場合
親が成熟していない、望まれなかった子どもなどの要因で、生まれた時から本当の意味で愛されなかった時にこうなります。
これは、あくまでも子ども本人の(無意識での)認識によるものです。
なので(めったにない例ですが)親が本当に愛していても、子どもの側が愛されたと感じなければここで止まります。これは相性の問題としか言いようがありません。
ここで止まった場合は思考が極端になりがちです。人のあやふやな考えが許せず、汚いものを受け付けません。逆に黒い思考も抱えてしまい、その2つを統合出来ずに苦しむことになります。
幼児期前期(2~4歳):自律性vs恥と疑惑
「自分でやる」と主張して実際に行動するようになります。保護者の注意に耳を貸さなくなったり、口答えしはじめます。
イヤイヤ期はこのあたりです。トイレトレーニングもこの時期です。
この時期で発達段階が止まる場合
それまで素直に甘えていた子どもが急に言うことを聞かなくなったなどで、親が子どもに対し「憎たらしい」というような思いを持つことがあります。
長子だった場合はここで弟や妹が生まれる場合もめずらしくありません。親は両方の子を愛していても、子ども側の視点で見捨てられたと思うこともあります。
ここで止まった場合はやはり思考は極端になりがちです。ですが乳児期ほどではありません。
乳児期は綺麗なものしか受け付けない傾向がありますが、この時期は綺麗なものを汚す事で自分の存在を確認する傾向があります。
幼児期後期(4~6歳):自主性vs罪悪感
自分で考えて行動するようになり、周囲に対しても積極的に関係を持とうとします。ごっこ遊び等、大人の真似事をして遊ぶことができます。
親の関係なしで、子ども同士でルールを作り自主的に遊びはじめるのもこの時期です。
この時期で発達段階が止まる場合
親が子どもの自主性を認められず、叱りすぎてしまう場合があります。逆に、もう何でも出来るからと放置してしまうこともあります。
この時期になれば、罪悪感で子どもをコントロール出来るようになります。なので望みと違うことをすれば大げさに悲しむ、責めるという方法で子どもを思い通りに動かそうとする親も出てきます。
ここで止まった場合は、罪悪感により関係性を築こうとします。築けると信じてもいます。
強ければ人は服従し、親切にすれば人は感謝するものだという世界観で生きています。なのでその予想を裏切られる行動をされると罪悪感に訴えます。
学童期(6~12歳):勤勉性vs劣等感
家庭から学校へ生活基盤が移り、家族以外と過ごす時間が大幅に増える時期です。それでも親に対する氣持ちは強く持っている時期でもあります。
学校の成績やクラスメイトの評価等で、自分を客観視出来るようにもなってきます。ですが自分は特別な存在で、人と自分は同じ人間という思考までには至りません。
この時期で発達段階が止まる場合
この時期で発達段階が止まる場合は、意外と多いものです。
第二次成長を親が受け入れない場合があります。大人っぽい言動が出来るようになるので、大人の役割を押し付けられる場合もあります。
ここで止まった場合は、激しい劣等感を持ちます。そのままというよりも、劣等感をこじらせてしまい、選民意識的思考に囚われた形を取ることもあるようです。
まとめ
- 自我の統合が出来ていれば、自分を自然な形で認められる
- 自我は、白・黒の両極端な心を調整する役割がある
- 親に大切にされていた時期まで自我が統合される
- それ以降は、自力で発達段階を進めるよう取り組む必要がある
発達段階の最終段階は「自我をなくす」こと
発達段階を進めていけば、最終的には自我領域が少なくなります。
- マズローの欲求5段階説の「自己実現欲求」以降
- インテグラル理論の「グリーン後期~ティール」以降
- ロバート・キーガンの成人発達理論の「発達段階5」以降
- チャクラの発達段階の「第6チャクラ」以降
が、その段階です。
発達理論を深く学んでいる人ほど、この段階に進むことを推奨していません。
自我がしっかり統合された段階、つまり
「自己肯定感をしっかり持ち、目標に向かって時には中心になり、充実した楽しい人生を送る段階」までの発達段階への成長を推奨しています。
- マズローの欲求5段階説の「自己承認欲求」
- インテグラル理論の「オレンジ」
- ロバート・キーガンの成人発達理論の「発達段階4」
- チャクラの発達段階の「第4チャクラ後期~第5チャクラ」
あたりです。
今回書いた「エリクソンのライフサイクル論」では、自我がしっかり統合された状態を目指しています。