心のしくみが分かれば悩み・問題の解決につながります。
今回の記事は、「すっぱい葡萄(ぶどう)」「甘い檸檬(れもん)」として知られる、認知的不協和についてです。
この記事を読む前に、知ってほしいことがあります。
認知的不協和理論による「事実の否定」すべてが悪いとは限りません。むしろ多少は必要なものです。
何故なら、心を衝撃から守るシステムでもあるからです。
人は全てを正しく認知できるものではありません。優先度の低いものは心の防御システムに任せればよいと思っています。
大切なことでも、ショックなことがあれば一時的に心を守る必要があります。
問題があるのは、大切な優先したいことがらについて、いつまでも認知的不協和理論で誤認識することです。
それが原因で心のわだかまりが解けなかったり、苦しくなってしまうことがあります。
それを留意していだだいた上で、認知的不協和について知っていただきたいと思います。
認知的不協和とは
認知的不協和を簡単に言うと
自分の中で矛盾する「新しい事実」を突きつけられた時に不快感を覚えます。
その不快感の事を社会心理学用語で、認知的不協和と言います。
自分の行動や思考に矛盾があるのは、正しい状態ではない、と感じます。それを正しくしたいために、認知的不協和を解消したいと望みます。
認知的不協和=矛盾を抱えた状態
認知的不協和の解消=矛盾を打ち消し正当化すること
認知的不協和理論
認知的不協和の解消についてのものです。
アメリカの心理学者フェスティンガーによって提唱された、心の中に生じた矛盾を解消しようとする
心理作用の基本理論です。
矛盾した2つの認知がある場合、その不協和を解消するために、変えやすいほうの認知を変化させ、納得しようとします。
認知的不協和の解消方法は
- 事実に対して行動や考えを変える
- 事実を否定する (←こちらの方が楽という認知的不協和理論)
の2種類に分かれます。
たいていは、2.事実を否定する ほうが楽なのでそうします。行動や考えを改めるのはなかなか難しいですよね。
行動を変化させるより、心に嘘をついた方が楽だと判断した結果、こうなります。
すっぱい葡萄(ぶどう)
イソップ童話からのものです。
話を簡単に書きます。
キツネが高い場所にある葡萄が食べたくて、何度もジャンプして取ろうとします。でも手が届きませんでした。そして悔し紛れに
「あのブドウはすっぱくて美味しくないモノだ」
と言う話です。
葡萄が食べたい→葡萄が手に入らない(新しい真実)は、矛盾しています。
「欲しい」けれど「手に入らない」からです。
なので
葡萄が手に入らない→すっぱい葡萄なので手に入れなくて良い。(新たな認知を追加)
つまり「欲しくない」から「手に入らなくてもいい」
というように、甘くて美味しい葡萄という事実を否定し、矛盾している部分をなくしています。
頑張っても手に入らない物を、悔しさや不満を解消するために理由付けをして、心を安定(認知的不協和の解消)させようとしています。
本当は欲しい葡萄を「酸っぱいから欲しくない」と自分を無理に納得させることです。
甘い檸檬(れもん)
すっぱい葡萄とは対になる理論として、例にだされる話です。
自分が頑張って手に入れたものは良いものだという心理です。
「頑張って手に入れた」けれど「酸っぱい檸檬」だったは、矛盾しています。
なので
「甘い檸檬」だから「頑張って手に入れた」と言う形で矛盾を解消しています。檸檬がすっぱいという事実の否定です。
今持っているもので納得し、後悔しないために理由付けをして、心を安定(認知的不協和の解消)させようとしています。
自分が頑張って手に入れたものは素晴らしいものだと無理やり思い込もうとしている状態です。そうでなければ、自分の苦労は報われないからです。
認知的不協和の例
認知的不協和と、その解消方法の例としてよく挙げられるのは3つです。
- たばこ
- 仕事の報酬
- 恋愛
以下、それについて解説します。
1.たばこの認知的不協和と解消例
「たばこを吸っている(喫煙している)」と「たばこは健康に悪い」は、矛盾した状態です。
この矛盾を解消する方法は2つです。
- 健康に悪いたばこをやめる(禁煙する)
- たばこは健康に悪くないと認知する
「健康に悪い」から「たばこをやめた」
「健康に悪くない」から「たばこを吸う」
のどちらかにすれば、矛盾はなくなります。
禁煙は難しいもので、たいていは事実の否定=たばこは健康に悪くないという形で、認知的不協和を解消します。
認知的不協和理論の変えやすいほうの認知を変化させるに当てはまりますね。
- やめるとかえってストレスが溜まり健康に良くない
- ヘビースモーカーの○○さんは80歳を過ぎても元気だ
- たばこを吸っていなくても肺がんになる人はいる
といった理屈で心を安定させています。
2.仕事の報酬の認知的不協和と解消例
同じ仕事をしたとしても、その報酬が
- 無償(もしくは低賃金)だった
- 正当な報酬が支払われた
では、どちらが仕事の満足度が高かったでしょうか?
これは意外にも 1.無償(もしくは低賃金)だったほうの満足度が高くなります。
「頑張って仕事をした」けれど「無償だった」
ではなく
「素晴らしい仕事」だから「無償でやった」
という認知的不協和の解消により、仕事への満足度が上がります。
3.恋愛の認知的不協和と解消例
付き合いたいな、と思う人がいて、頑張ってアタックを繰り返し恋人になれたとします。
実際に付き合ってみると、価値観も好みも違う、自分のことは大切にしてくれないといった、不満が出てきた時、
不満な部分は否定して、自分にぴったりの素敵な恋人と思い込みます。
苦労して付き合えるようになったから、素晴らしい恋人だ、という理屈です。
認知的不協和理論によって自己正当化するデメリット
自分の認知を変え正当化し過ぎる事で発生するデメリットは、以下の通りです。
二元論の考えに陥りやすくなる
世の中は、「矛盾しているかしていないか」のどちらかで割り切れません。
ですが、自己正当化はその二元論に片足を突っ込んだ状態です。
多少の認知的不協和を感じても、「そんなこともある」とか「ま、いいか」と流すことがあっても良いはずです。
矛盾した2つの認知をあわせ持つことがあっても良いと、そう思っても良いわけです。
矛盾の全てを解決しようとすれば「正しい、間違っている」の極端な考えになります。戦わなくても良い問題を、心に発生させるようなものです。
それは、いわゆる「お前は一体何と戦ってるんだ」状態です。
自分の気持ちを大切にできない
矛盾した2つの認知がある場合、その不協和を解消するために、変えやすいほうの認知を変化させ、納得しようとします。
そして多くの場合、自分の気持ちの方を変化させ、納得しようとします。
事実の否定も、実は気持ちの変化になります。心を無理やり誤魔化しているからです。
無理に楽しく思う、悲しい気持ちを否定する、やりたくないという感情を押さえるなど、自分の心を否定します。
それは自分の心の虐待と同じです。これでは自分で自分が嫌いになります。
その結果、不満やストレスが溜まります。
心のわだかまりが消えない
認識が違えば、何度そのことを思い巡らせても納得できません。意識では思い込んでいても、無意識は事実を知っています。
例えば、ある学校に進学したかったとします。ですが、何らかの事情であきらめました。
それについて、あんな学校は大したことはない、行かなくて良かったと、すっぱい葡萄のような自己正当化をすればどうなるか、ですが、
職場の同僚や、新たに知り合った人がその学校出身だと知れば、心がざわつきます。口に出すかは別にして
「あんな大したことない学校」「あの学校出身のあいつは仕事も大したことがない」
といった感じに、心で悪態をつきます。
その認識は真実ではないので、心はモヤモヤし、納得もできません。
なのでさらに心の中で悪く思うの繰り返しです。
行けなかった事情を認めれば、その時は苦しくても徐々にわだかまりはきえていきます。
成長出来ない
発達心理学で説明される行動変容のプロセスがあります。
達成→不協和→洞察→解放の順にすすみます
- 達成→何かを成しえて満足している
- 不協和→このままではいけないという不安感
- 洞察→行動する前に目標を決めるなどの脳内変化、脳内改革
- 解放→目標に向かって一気に進んでいく
人はこの行動変容の中のどこかにいます。
1.満足・安定している状態
↓
2.このままでいいの?
↓
3.どう変わろうか考える
↓
4.成長への行動
という経緯で、人は成長していきます。
ですが、認知的不協和理論(簡単なほうを変える、大抵は事実の否定)での矛盾の解消なら、いつまでも1.満足・安定している状態 から次へ変化しません。
なので成長する必要がなくなりそのままになります。
まとめ
- 認知的不協和とは、事実とそれに対する行動・考えに矛盾があること
- 認知的不協和を解消するために簡単に変えられる方を変える。それは「事実の否定」という方法が多い(=認知的不協和理論)
- 認知的不協和理論で解消するデメリットは
・二元論で考えやすくなる
・自分を大切に出来ない
・心のわだかまりが残る
・成長できない
大切なことや誤認識で心が苦しい時には、正しい認知をしていかなければいけません。
ですが、心に折り合いをつけるのも大切なことです。
ある意味心に嘘をついていることにはなりますが、人は全てを完璧には出来ません。全てを重要視することもできません。
自分にとって重要でない部分は、認知的不協和理論でさらっと流して良いと思います。