「自分」とは何か?どこまでが自分?迷わないための心理学

心の話
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自分とは何か?について、私は悩むことはありません。

なぜなら答えを知っているからです。

この答えを腑に落として実行出来れば、迷う理由もなくなるかもしれません。

「自分とは何か?」を悩まないだけで、どうして自分は?についてはよく考え込みます。

今回の記事では、一般に言われている「自分」の解説と、私が腑に落としている「自分」について書いていきます。

本当の自分、という概念があります。これについて、錯覚する場合がよくあります。

言わなかったから、行動しなかったから「本当の」と思い込んでいるだけかもしれません。

一般的に言われている「自分」

「自我(エゴ)」の部分

オーストリアの精神医学者ジークムント・フロイトは、人間の心を3つの構造に分けています。

  • エス:本能や欲求など、心の中の本能的な欲求や生理的な衝動を持つ部分(黒い心のイメージ)
  • 自我(エゴ):エスと超自我を調整する部分(グレーのイメージ)
  • 超自我:道徳的で正しい理想を追い求める部分(白い心のイメージ)

白黒の二極思考では行動が限られます。不便で苦しく感じることもあります。そうならないために、間をとった答えを出すのが自我の役割です。

他の人の持ち物で、欲しいなと思うものがあったとします。その時のエスと超自我の反応は

  • エス:奪う
  • 超自我:あきらめる

といった感じになります。

自我がエスと超自我を調整した場合、

  • 何処で買ったのか聞く
  • 譲ってもらえないか交渉する
  • 代わりに買ってきてもらえないか頼む

など、その時の状況や、相手との関係性を考えて、中間の答えを探します。

その答えが、自分の求めているものであり、自分らしさと感じます。

ですが、自我は心を上手く機能させるシステムにすぎません。

ただのしくみを「自分」と思っています。

体+心+魂のすべて

体も心も魂も、全てを含めて自分という考え方があります。

これは、だから3つとも同等に大切にしましょうねという意味で受け取れば、良い考え方と思っています。

人は、この3つの中のどれかを軽視し、犠牲にしがちだからです。

暴飲暴食で体を傷つける、無理な我慢をしてストレスを溜める、自分の信念を曲げるなどは、体・心・魂のうち、何かのために別の何かを犠牲にした場合が多いようです。

「自分とは何か」の別の見解

思い通りに動かせるのが「自分」という考え方

自分の思い通りにならないものは自分のものではない、つまり、自分ではないという考え方があります。これが、私が腑に落としているものです。

他人は、少しは希望通りに動いてくれても、完全に思い通りになりません。なので自分ではありません。

公園は、生えている雑草は引っこ抜けます。ですが、木やフェンスは簡単に移動させられません。なので自分ではありません

体はどうでしょうか?

鍛錬すれば、手足は思い通りに動かせます。ですが血を逆流させることはできません。好きなように心臓を止めたり動かしたりもできません。なので自分ではありません

心はどうかといえば

怒りが収まらないときもあれば、悲しみから抜け出せないこともあります。我慢しようと思っても出来ないことがあります。なので自分ではありません

魂は

そもそも魂さえ感じられないこともあります。輪廻転生を自由に決めることもできません。輪から離れることもできません。なので自分ではありません

これらの自分でないものを自分と思っているから、迷うし、苦しい思いをします。

自分がコントロールしなければいけない、自分でコントロールできると思い込んでいるけれど、実際はできません。

できないものをできると思って、何度もチャレンジして失敗し続けます。

自分だと思うから、どうにかしようと思います。

自分でないと分かれば、完全に思い通りにならなくても納得ができます。

そういうものだと思えます。

自分とは何か?

では結局自分とは何か?ですが

自己認識です。

自分と思っている自分が自分です。それが正しくても違っていてもです。

  • 正しければ、無意識は「自分」の味方になり、
  • 間違っていれば、無意識は「自分」の敵になります。

自我という機能を「自分」と思うのも、自我=自分と認識しているからです。

自己認識が思い通りにできる「自分」です。

思い通りにするためには、勉強や努力、鍛錬が必要です。

ですが心臓を自在に操れないのとは違い、思い通りにするのは可能です。

ガリガリの人が「自分は太っている」と認識すれば、その人は太っています。

控えめで穏やかな人が「自分はいくじなしだ」と認識すれば、その人はいくじなしです。

ダメだと思えばダメ人間だし、生まれてきてごめんなさいと思えば、生きる価値のない人間です。

だからと言って、ポジティブ風な現実逃避が良いわけではありません。

「自分は人とは違う才能がある優れた人間だ」と根拠なく思い込もうとしても、無意識が、自己認識はそうではないと知っています。

無意識と意識が大きく違えば不安が生まれます。なので逆効果です。

「自分」のためにできること

自己認識を正しく持つ、これが大切です。

私は、人の苦しみは自己認識を違えていることが原因だと感じています。

自分の全てを正しく認識する必要はありません。

心の便利なシステムにお任せしてかまいません。

心に折り合いをつけることも必要です。

ですが、苦しみの元になっている部分は、取り除くためにもしっかり見ていく必要があります。

何か追求したい、極めたいことがある時も、自己認識を正しく持つ必要があります。自分という土台をしっかりさせるためです。

自己認識を正しく持つ方法として

  • 認知バイアスという心を誤解するシステムを知る
  • 人の価値観に左右されない
  • 感情を観察する(怒りの理由を考える)
  • 自分を過小評価しない勇気を持つ
  • 嫌だと思う部分を否定しない
  • すっきりしない、もやもや感がある時に自己対話してみる

といった方法があります。

心のしくみを知るのは有用なので、心について疑問に思うことを調べるのもおすすめです。

まとめ

  1. 自己認識した自分が「自分」である
  2. 正しく認識ずれば無意識が味方になる

この2つを知っていれば、正しく自己認識しようと思えます。

無意識の奥には「集合的無意識」という、個を超え共通した無意識があります。

シンクロニシティ(意味のある偶然)が起きたり、先に起きるであろう流れが読めるのも、自己認識を正しく持てるかどうかに関係します。

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