こんにちは。くまの(Kumano@deguneko)です。
自信がなく「自分には価値がない」と思えば生きづらくなります。
人は誰でも存在しているだけで素晴らしいので、「私には価値がある」と無条件に決めることは間違ったことではありません。
ですが、採用の仕方や考え方によっては余計な足かせになることがあります。
今回の記事では、「ありのままの自分には価値がある」について注意するべきことを書いていきます。
「価値がない」と生きづらい理由
自分の価値を求めるのは何故?
深層恐怖によるものです。
人は生きていく中、保護者や学校の教育やしつけ、人との交流の中で
「価値がないと良くないことが起こる」と、学習しています。
しつけや教育なら
- 目上に素直に従う
- 進んで手伝いをする
- 良い成績をとる
など、良い子でいれば褒められ愛されます。そうしなければ悪い子扱いされ、罰を受けるなど嫌な目に遭うかもしれません。
人との関係なら
- 思いやりがあり親切
- 一緒にいて楽しい
- 困った時に助けてくれる
など人から見て価値があるなら、いい人だと褒めてもらえます。そうでないと悪く言われ嫌われるかもしれません。
社会に出れば
- 学歴が高い
- 仕事や収入が良い
- 人脈が広い
- 人格者
などが価値になり、価値が低ければバカにされることもあります。
価値が低い人間に対し、叱責や罰、人からの冷たい態度、いじめの対象になり何もかも奪われるのではないかという深層恐怖を持ちます。
価値がない人間に対し、世界の人々は敵対するという思い込みです。
だから、価値がない、という状態が怖いので自分の価値を求めます。
大げさに書いていると思われるかもしれませんが、深く深層心理を見ていくと、実際にこのような世界観が出来上がっています。
「価値がない」と思うと生きづらい理由
「価値がない自分」が怖いので、自分への価値を求めます。
一番簡単なのは自己犠牲をして何かを成すことです。
やりたくないし、やらなくても生きていけるようなことを無理に努力します。
自己犠牲を払い人のために尽くすこともそうです。
やりたくないことを無理にやり、人から評価を得る、もしくは自分で安心できるくらいの「価値」を身に付けることを、恐怖に動かされて続けることになります。
何か努力をしなければ、せめて頑張っている態度を見せなければと何かをし続けます。
このように、自分の生きる権利を得るために苦行を続けているので、生きづらくなります。
「ありのままの自分には価値がある」が問題の時
「私には価値がない」から「私には価値がある」と思うことです。
価値が「ある」「ない」の二元論の世界観で、価値がないことが前提になっています。
価値がない自分が生きづらい原因なので、「私には価値がある」という肯定は、良いことのように見えます。
ですがこれは「価値がない自分」に対し「ありのままの自分には価値がある」という価値を加えようとしている行為です。
これでは価値ある人間になるために努力するんだと苦しんでいる状態と同じです。
価値のない自分ではダメだ、生きる意味がないから変わりたいという思いからの「私には価値がある」に過ぎないからです。
この状態での「ありのままの自分には価値がある」は、「自分には価値がない」という恐怖を抑圧します。
抑圧された「無価値感」は無意識の中でどんどん大きくなっていきます。
価値がある私のフリをしつつ、価値のない自分に脅えている状態です。
「価値がない」が前提の「ありのままの自分の価値」は「ない」、つまりないものはないのです。
「私には価値がある」で生きるのが楽になるためには?
価値が「ある」「ない」二極上での「価値がある」ではなく、ただ「価値がある」と思えることです。
何の理由がなくても全ての人に価値があり、自分にも同等に価値があるといったイメージでしょうか。
自分に価値がないなんて「その発想はなかった」レベルでの「価値がある」確信です。
といっても、価値がなければ生きていけないという価値観を植え付けられているのでいきなりは難しいかもしれません。
例えば自分の大切な家族や人、大事にしているペットを思い浮かべてください。
愛猫が、気まぐれでツンケンと自分を避けても、その冷たい態度も魅力的!と思っても「飼い主に愛想も振りまけないなんて嫌な猫だ(=ペットとして価値がない)とは思いません。
子供が学校から帰って、野球でヒットを打てなかった自分はダメなんだと落ち込んでいれば、「そんなことであなたの価値がないなどあるはずがない」と思います。
そのような気持ちを自分にも向けることで、「価値がない」はただの幻想と気付いていきます。
また、「価値がない」はただの勘違いなので、なぜそのような勘違いをしたのか内観していくのも効果的です。
まとめ
- 価値がない状態が怖いので、価値を求め努力する
- 「価値がない」が前提の「ありのままの自分」の価値は「ない」になる
- 「価値がない」という発想さえない「価値がある」が、本来の「ありのままの自分の価値」