優しい虐待とは?本人も誤解する2つのパターン

心の話
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こんにちは。くまの(Kumano@Rpgmg)です。

虐待と言えば、体や心への暴力、無視、家庭内のいじめなどが浮かびます。

そんな中「優しい虐待」という「虐待」は、中々理解されません。

一番の問題は、本人さえも理解出来ないということです。

優しい虐待は、本人から生きる力を奪う上に、周囲からは苦しみが理解されないという対処が難しいものです。

「もしかして」と思う方も「まさか自分が」と思われる方も、ぜひ読んでみてください。

記事の内容
  1. 優しい虐待はどういうものか?具体的な2つの例
  2. 優しい虐待を受けた人が大人になったらどうなるか?
  3. 優しい虐待を受けた本人が自分の過去を勘違いしやすい2つのパターン
  4. 優しい虐待を受け苦しんでいる人が出来るとてもシンプルな対策

優しい虐待とは?

優しい虐待の2つの例

「愛玩子と搾取子」 のパターン

「愛玩子と搾取子」という言葉をご存じでしょうか?

子どもが数人いた場合、「かわいがる子ども」と「ないがしろにする子ども」に分けて育てられる場合があります。

  • ただ猫可愛がりするだけの対象を愛玩子
  • 奴隷のようにこき使ったり八つ当たりの対象を搾取子

と呼ばれます。

ある家庭に2人の子どもがいたとします。1人は愛玩子、もう1人は搾取子として育てられたとします。

愛玩子」にはなんでも買い与えます。わがままを許し、とにかく甘やかします。

一方「搾取子」には、必要なものさえ買い与えず、こき使われストレスのはけ口にされます。

誕生日のプレゼントは「数万円のおもちゃ」と「千円以内の文房具」くらいの差をつけられます。テストで同じくらいの点を取っても、一方は褒められ、もう一方は怒られ殴られたりします。

買い与えられる服も違えば、家での過ごし方にも差をつけられます。摂取子は自分を無価値と感じます。愛玩子は自分に選民意識を持ちます。

この愛玩子が、やさしい虐待を受けている状態です。

摂取子と愛玩子の話を読んで、摂取子かわいそう!と思われた方は多いと思います。ですが愛玩子についてはそんなに気にならなかったのではないでしょうか?

もちろんあえてそういう書き方をしています。多くの場合、摂取子はそのように語られるからです。

それが、優しい虐待が理解されにくい原因にもなっています。

搾取子は典型的な虐待を受けています。毒親の被害に遭っているので、心に問題を抱えし生きつらさに悩みます。

愛玩子も同じです。毒親の被害に遭い生きつらさを抱えています。どちらがマシでどちらが酷いというものはありません。

一人っ子でも「愛玩子」として育てられる場合も、もちろんあります。

その場合は、蝶よ花よと育てられたと思われがちです。

世話を焼く形で支配されるパターン

先のような、ちやほやと甘やかす以外にも優しい虐待のパターンがあります。

単純に言えば、「口うるさいおせっかい」に見えるものです。

親は子どもが心配です。つい余計なことまで手を出したり要らぬ助言をする場合も珍しくはありません。

通常の世話焼きなら単に子どものことを考えてのことなので、おせっかいで悪影響が出れば気を付けます。

優しい虐待と、単純なおせっかいの差は

子どもを自分の思うように操ろうとしているか否かです。

優しい虐待の場合は、世話を焼くという形で子どもを支配します。

「あれはダメでしょ」「こうしないとダメでしょ」と言いながらせっせと世話を焼き、拒否するのを許しません。

子ども側も、とりあえず世話を焼かせておけばうるさくないから、と諦め受け入れます。

ずっと口うるさくガミガミ言われれば、子ども側はそれを普通の虐待と受け取ります。嫌なことをされて窮屈だとは感じているからです。

ですがそれを周囲は、

「親が子を思う行動、感謝しないと罰があたるよ」
「素直に気持ちを言えないからぶっきらぼうなんでしょ、察してあげなさい」

といった親の心子知らず扱いをします。感謝しない子ども側が悪いという考えです。

周囲の人は

「ちょっと口うるさいけれど子ども想いの親なのに、なんで虐待だと思うのか」

と判断します。なのでこの「優しい虐待」の苦しみは理解されません。

本人も周囲からそのような評価を受け続けるので、虐待されていないと思うようになります。

優しい虐待を受けた弊害

子供は成長するにつれて、試練や人生の壁にぶつかり乗り越えていく時期がやってきます。

人は何でも思い通りにはなりません。最低限のコントロール、自制心を覚えていかなければ将来的に苦労します。

その自制心を、何でも買い与える、わがままを許す、という甘やかしで成長の機会を奪われています。自力で生きていく力を、親に取り上げられています。

世話を焼いて支配する場合は、自分の力で何かをしようと思うと止められ怒られるので、自力で解決する力を奪われます。

自制心も努力しようという姿勢も奪われれば、周囲が助けてくれるまで待つか、助けてくれないからキレるという我が儘な人になるかになります。

周りの人は自分の機嫌を取るものだという思い込みは、人間関係で苦労します。

何よりも、与えられるはずの愛情がもらえないのが問題です。これがあるから人間は少々のことは乗り越えていけるし自分を大切に出来ます。

それが出来ないのは、生きづらさの大きな原因になります。

優しい虐待を受けた人が大人になった時

親に経済力があり甘やかせられるなら、親元で依存しながら過ごすこともあるようです。

自制心を取り上げられた結果、癇癪持ちのまま暮らしている場合もあります。問題が自力で解決できないのでそのまま親の保護下で飼い殺しされているように生活を続けることもあります。

私が見た中で多いのは、社会にそれなりに適応しつつも生きづらさを抱え暮らしているパターンです。(私が見ている=社会に出ている、なので当たり前の話ではあります)

社会に適応するためには、親がやっていた甘やかしを世間に求められません。

なので、身の回りの人を大きく2種類に分けて考えます。

  1. 自分を理解できない人=自分に尽くさない人
  2. 自分を理解できる人=自分に尽くすべき人

です。

つまり、育てられたような我が儘放題をしていればみんなに嫌われてしまう。なのでごく少数の人にだけ我が儘に振舞うのです。

自分を理解できない(我が儘を受け入れない)「程度の低い人」「レベルの低い人」に対しては、そういう人なんだとあきらめて、適度に低姿勢に付き合います。(「 」内は当人が勝手に下している評価です)

そして数少ない自分を理解できる(我が儘をきいてくれる)「まともな人」に強く依存します。理解できるのなら親程度には自分に尽くすのは当たり前だと考えます。なのでその当たり前+アルファを求めます。

そんなのは上手くいかないと思われるでしょうが、毒親育ちで歪んだ価値観を持った人とは合うようです。

例えば、元愛玩子(優しい虐待を受けた)は、元搾取子(いわゆる虐待を受けた)を、その理解できる人の対象に選ぶことがあります。

元搾取子は尽くさないと嫌われるという思い込みがあり、尽くすことで安心します。

元搾取子は元愛玩子に惹かれやすい上に、見捨てられません。自分と同じ「泣いている子ども(インナーチャイルド)」を相手の心の中にも感じ取っているからです。

そうして共依存状態になり、どちらかが潰れるまで続きます。

「やさしい虐待」を受けた本人の誤解2つのパターン

1.虐待されていないと思うパターン

甘やかされた=可愛がられた、と思っているパターンです。

これが問題なのは、愛されなかったことを無意識は自覚していることです。愛されなかったから愛されたいと、他人に多くを求めます。

愛情の判断は「どれだけ自己犠牲して自分に尽くしてくれるか」です。

自己犠牲の献身は本当の愛情とは違うので、愛を求めても満たされることはありません。

ただこの場合は、違うパターンで愛してくれる人に出会えれば、その上で当人もその人を愛せれば、愛にも色々な形があるんだなと納得して、そのまま平和に過ごせる場合もあります。

これは男女間に限らず、強い友情でも成り立ちます。

愛されなかったという不満がない上に、愛してくれる人と出会えて無意識もそのまま納得するので上手くいきます。

2.いわゆる普通の虐待をされたと思うパターン

親に愛されていなかった、という事実に気が付いているパターンです。

ただ甘やかすというのは自分勝手な行為です。甘やかしを拒否されればヒステリックに怒るとか、叩くような場面もあります。

愛されていないと感じる部分はそこなんだと、本人は思います。

問題なのは人格を否定し人形として思い通りに甘やかそうとしたことです。

根本の問題は「支配するための甘やかし」で、たまの暴力的な部分はメインではありません。

虐待されたと思いたいためにたまに受けた酷い扱いを、オーバーに解釈します。

ですが世間はもっと酷い扱いを受けている人を知っているので、それぐらいでという評価をします。それはしつけの範囲では?と思うようです。

本人も心の奥では、オーバーに言っていると気が付いています。

でも愛されなかったことは知っているし、寂しい不安な気持ちを持ち続けています。それを誰にも肯定してもらえず、甘えているという評価さえされます。八方ふさがりです。

これはもう、やさしい虐待を受けたと本人が自覚しなければ解決できないような状態です。ですが認めるのは難しいのかもしれません。

やさしい虐待を受け苦しんでいる人が出来る対策は?

まず、「優しい虐待を受けた」ということを知ってください。

「親の行動は自分を思いやってしてくれたことではないんだ」と認めるのはつらいことです。ですがその虐待で苦しいなら、少しづつでも認め受け止めていくのが最初の対策です。

対策の大半はこれで終わりです。

事実を知り自覚さえすれば、その上で苦しみから解放されたいと望んで入れば、あなたに合った解決策は外部から舞い込んできます。良い本に出合えたり助言をもらえたりなどです。自身で閃くこともあります。

あなたの受けた虐待について、世間は「甘やかされて親に大切にされていたんでしょ」という評価をするかもしれません。

それって、ストーカーをされて苦しんでいる人に「モテていいよね」と言っているのと同じような、酷いことです。心無いことを言われているんだと知ってください。

寂しい気持ちが強くて愛情を求めてしまいがちですが、求める愛は愛玩的なものです。求めたものが手に入っても心は満たされません。

何か、誰かを大切に思い、相手になるための行動をするのも良い方法です。強い想いでなくてもかまいません。ささやかな感謝の気持ちなどでもOKです。

愛玩ではない愛情を他者に持てるようになれば、他の人に愛玩的な愛情を求める必要がなくなります。

まとめ

  • 優しい虐待は「愛玩子」と言われるあまやかされた子が受けているもの
  • 優しい虐待は、親が子の人格を無視しお人形扱いをするもの
  • 優しい虐待を周囲はただの甘やかしと受け取るので苦しみが理解されにくい
  • 本人さえも自覚できずに誤解する場合が多い、勘違いは2種類
    ・愛されて育った
    ・いわゆる普通の虐待を受けた
  • 優しい虐待を受けたと自覚する、愛玩でない愛を知ることが脱却のカギになる
  • 元摂取子と共依存にならないように注意する
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