優しい虐待とは?本人も誤解する2つのパターン

心の話
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優しい虐待は、中々理解されません。

一番の問題は、本人さえも理解できないということです。

あまりにも極端なものなら分かってもらえますが、それぐらい分かりやすいパターンは1握りです。

私は、人の生きづらさは、自己認識を違えていることで起きていると考えています。

今回の記事では、自分で理解出来なければ、人からも教えてもらいにくいので間違えてとらえやすい

「やさしい虐待」

について、私が感じたことや見えたことを書いていきます。

「もしかして」と思う方も「まさか自分が」と思われる方も、ぜひ読んでみてください。

  • 優しい虐待とは何か?
  • 分かりやすい優しい虐待と、分かりにくい優しい虐待
  • 優しい虐待を受けるとどうなるのか?
  • 優しい虐待を勘違いする2つのパターンについて
  • 優しい虐待を受けた人が出来る対策について

優しい虐待とは?

優しい虐待にはどのようなものがあるか?

分かりやすい「優しい虐待」のパターン

「愛玩子と搾取子」という言葉をご存じでしょうか?

子どもが数人いた場合、「かわいがる子ども(愛玩子)」と「ないがしろにする子ども(摂取子)」に分けて育てられる場合があります。完全な毒親ですね。

2人の子どもがいたとします。そして1人は愛玩子、もう1人は搾取子として育てられたとします。

愛玩子」にはなんでも買い与えます。わがままを許し、とにかく甘やかします。

一方「搾取子」には、必要なものさえ中々買い与えず、安全な生活の保障もなければ、やつあたりをされたりこき使われたりします。

誕生日のプレゼントは、「数万円のおもちゃ」と「千円以内の文房具」くらいの差をつけられます。テストで同じくらいの点を取っても、一方は褒められ、もう一方は怒られ殴られたりします。

買い与えられる服も違えば、家での過ごし方にも差をつけられます。摂取子は自分を無価値と感じます。愛玩子は自分に選民意識を持ちます。

この愛玩子が、やさしい虐待を受けている状態です。

摂取子と愛玩子の話を読んで、摂取子かわいそう!と思われた方は多いと思います。ですが愛玩子についてはそんなに気にならなかったのではないでしょうか?

もちろん、あえてそういう書き方をしています。多くの場合、摂取子はそのように語られるからです。

それが、優しい虐待が理解されにくい原因にもなっています。

摂取子の方がマシだと言っているわけではありません。苦しさの種類が違うことを述べているつもりです。

搾取子の場合は、典型的な虐待を受けています。毒親の被害に遭っているので、心に問題を抱えてしまうし生きつらい悩みも抱えます。

愛玩子も同じです。毒親の被害に遭い生きつらさを抱えています。どちらがマシでどちらが酷いというものはありません。

一人っ子でも「愛玩子」として育てられる場合も、もちろんあります。

その場合は、蝶よ花よと育てられたと思われがちです。

分かりにくい「優しい虐待」のパターン

先のような、ちやほやと甘やかす以外にも優しい虐待のパターンがあります。

単純に言えば、「口うるさいおせっかい」に見えるものです。

親などの保護者は、やはり子どもが心配です。ついつい余計なことまで手を出したり要らぬ助言をする場合も珍しくはありません。

ですがこの場合は単に子どものことを考えての行動なので、おせっかいで悪影響が出れば気を付けます。

優しい虐待と、単純なおせっかいの差は

子どもを自分の思うように操ろうとしているか否かです。優しい虐待の場合は、世話を焼くという形で子どもを支配します。

あれはダメでしょ、こうしないとダメでしょ、と言いながらせっせと世話を焼き、それを拒否するのを許しません。

子ども側も、とりあえず世話を焼かせておけばうるさくないから、と諦め受け入れます。

世話を焼く時の言葉が乱暴な場合も多く、子ども側はそれを普通の虐待と受け取ります。嫌なことをされて窮屈だとは感じているからです。

ですがそれを周囲は、

「親が子を思う行動、感謝しないと罰があたるよ」
「素直に気持ちを言えないからぶっきらぼうなんでしょ、察してあげなさい」

といった親の心子知らず扱いをします。感謝しない子ども側が悪いという考えです。

周囲の人は

「ちょっと口うるさいけれど子ども想いの親なのに、なんで虐待だと思うのか」

と判断します。なのでこの「優しい虐待」の苦しみは理解されません。

本人も周囲からそのような評価を受け続けるので、虐待されていないと思うようになります。

優しい虐待を受けた弊害

子供は成長するにつれて、相応の試練を与えられて乗り越えていく必要があります。

人は何でも思い通りにはなりません。最低限のコントロール、自制心を覚えていかなければ将来的に苦労します。

その自制心を、何でも買い与える、わがままを許す、といった事で取り上げられた状態になります。自力で生きていく力を、親に取り上げられています。

世話を焼いて支配する場合は、何もしなくても問題が勝手に解決する、自分で何かをしようと思うと止められ怒られるので、自分で何とかしようとする力を奪われます。

何よりも、与えられるはずの愛情がもらえないのが問題です。これがあるから人間は少々のことは乗り越えていけるし、自分を大切に出来ます。

それが自然に出来ないのは、生きづらさの大きな原因になります。

優しい虐待を受けた人が大人になった時

親に経済力があったり、甘やかせる状況が許す場合は、親元で経済的に依存しながら過ごすこともあるようです。

自制心を取り上げられた影響で、癇癪持ちのまま暮らしている場合もあります。問題が自力で解決できないのでそのまま親の保護下で暮らしていることもあります。

私が見た中で多いのは、社会にそれなりに適応しつつも生きづらさを抱え暮らしているパターンです。(私が見ている=社会に出ている、なので当たり前の話ではあります)

社会に適応するためには、親がしていたような甘やかしを世間に求められません。なので、身の回りの人を大きく2種類に分けて考えます。

  1. 自分を理解できない人=自分に尽くさない人
  2. 自分を理解できる人=自分に尽くすべき人

です。

自分を理解できない、「程度の低い人」「レベルの低い人」に対しては、そういう人なんだとあきらめて、適度に低姿勢に付き合います。(「」内は当人が下している評価です)

そして数少ない自分を理解できる「まともな人」に、強く依存します。理解できるという事は、親程度には自分に尽くしていくのは「当たり前」です。なのでその当たり前+アルファを求めます。

そんなのは上手くいかないと思われるでしょうが、元愛玩子(優しい虐待を受けた)は、元搾取子(いわゆる虐待を受けた)を、その理解できる人の対象に選ぶことがあり、その場合は上手く行きます。

そうなってしまえばやっかいです。元搾取子は元愛玩子に惹かれやすい上に、見捨てられません。自分と同じ「泣いている子ども」を相手の心の中にも感じ取っているからです。

そうして共依存状態になり、どちらかが潰れるまで続きます。

「優しい虐待」という虐待に気が付いたきっかけ

私は視力の悪さから聴覚が発達してしまい、その結果声が見える共感覚を持っています。

集中して使うのは、セッションなどの必要な時や、趣味で音楽を聴いている時くらいで普段はそんなに気にしないようにしています。いちいち全部見ていたら疲れるというのが理由です。

ですが、自我領域、特に自我領域がほとんどない人についてはあまりにも見えるものが特徴的なので分かります。

自我領域の大きさは、子供の時にどれだけ保護者に愛されたのかに直結します。

稀に「自我領域の狭い親に愛された」というパターンもありますが、そういう場合はある程度話せば分かります。

過去の家庭環境に不満を持っている、親に愛されなかったと思っているのに、

その割には、どう酷い扱いを受けたのかの説明が出来ないし、やられた話も「盛って」いる。けれど声の形は明らかに虐待を受けている(声の形まではごまかせません)という人が時折いました。

セッションでそういう人にお会いした時に、原因を探っていった結果「やさしい虐待」に気がつきました。

私が昔、お手伝いをしていたその場所は、1人に対し担当が数人付くスタイルでした。ですがその人が虐待を受けていたことに気が付いていたのは私だけでした。

本人が「虐待を受けていた」と言っているにもかかわらず、です。

それが「優しい虐待」に対する世間の評価なのだと、同時に気が付きました。

「やさしい虐待」を受けた本人の誤解2つのパターン

1.虐待されていないと思うパターン

甘やかされた=可愛がられた、と思っているパターンです。

これが問題なのは、愛されなかったことを無意識は自覚していることです。愛されなかったから愛されたいと、他人に多くを求めます。

「愛される」の最低基準が、甘やかした親の状態なのでやっかいです。

ただこの場合は、違うパターンで愛してくれる人に出会えれば、その上で当人もその人を愛せれば、愛にも色々な形があるんだなと納得して、そのまま平和に過ごせる場合もあります。

これは男女間に限らず、強い友情でも成り立ちます。

愛されなかったという不満がない上に、愛してくれる人と出会えて無意識もそのまま納得するので上手くいきます。

そのパターンは思いの外多く、過去話を聞いていてそういうのが見えた時、「本当ーーーに良かったね!!」と叫びたいのをこらえています。(言わなくても良い事なのでそういうことは黙って話をきいているので)

2.いわゆる普通の虐待をされたと思うパターン

親に愛されていなかった、という事にだけ気が付いたパターンです。

ただ甘やかすというのは、自分勝手な行為です。なので時にはヒステリックに怒るとか、叩くような場面もあります。

愛されていないと感じる部分はそこなんだと、本人は思います。

人格を無視されてお人形扱いされた事が愛されていない状態なのですが、それが原因という発想はなかなか持てません。なのでそうなってしまいます。

たまに受けた酷い扱いを、針小棒大に言うしかありません。

ですが世間は、もっと酷い扱いを受けている人を知っているので、それぐらいでという評価をします。それってただのしつけの範囲では?と思うようです。

本人も心の奥では、オーバーに言っていると気が付いています。

でも愛されなかったことは知っているし、寂しい不安な気持ちを持ち続けています。それを誰にも肯定してもらえず、甘えているという評価さえされます。八方ふさがりです。

これはもう、やさしい虐待を受けたと本人が自覚しなければ解決できないような状態です。ですが認めるのは難しいのかもしれません。

やさしい虐待を受けた人が出来る対策は?

まず、「優しい虐待を受けた」ということを自覚してください。

世間は「親に大切にされていたんでしょ」という評価をするかもしれません。

それって、ストーカーをされて苦しんでいる人に「モテていいよね」と言っているのと同じような、酷いことです。心無いことを言われているんだと知ってください。

寂しい気持ちが強くて愛情を求めてしまいがちですが、求める愛は愛玩的なものです。手に入っても心は満たされません。

不足するから強いものを摂取する、それでも満たされずにもっと欲しくなってしまい、ますます摂取する。それを人からの愛情で満たそうとします。

一番の対策は、何か、誰かを大切に思い、相手になるための行動をすることです。

愛玩ではない愛情を自分が他に持てるようになれば、他の人に愛玩的な愛情を求める必要がなくなります。

まとめ

  • 優しい虐待は「愛玩子」と言われるパターン
  • 優しい虐待は、親が子の人格を無視しお人形扱いをするもの
  • 優しい虐待を周囲はただの甘やかしと受け取りがち
  • 本人さえも自覚できずに誤解する場合が多い、勘違いは2種類
    ・虐待をされていない
    ・いわゆる普通の虐待を受けた
  • 優しい虐待を受けたと自覚する、愛玩でない愛を知ることが脱却のカギになる
  • 元摂取子と共依存にならないように注意する
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