罪悪感の心理 – なぜ持ってしまうのか?

心の話
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こんにちは。くまの(Kumano@deguneko)です。

罪悪感を持つ原因を簡単に言えば、

罪悪感を持つことにメリットを見い出しているからです。もしくは持たないことでデメリットを感じるからです。

罪悪感だけではなく、怒りや悲しみなどの感情は全てそのような理由から湧いています。苦しいと思う感情でも、持った方が良いと心が感じています。

ですが実際その「メリット」は勘違いであることが多いようです。

今回の記事では罪悪感について書いていきます。

記事の内容
  1. 罪悪感は持たない方が良い?
  2. 罪悪感とは?
  3. 4種類の罪悪感について
  4. 外部と内部の罪悪感
  5. 徳と罪悪感

罪悪感を持たないのは良いことか?

罪悪感は人間にとって必要な心理です。

人を苦しめない、悲しませないような働きをするというのも必要な理由です。

多すぎれば生き辛くなりますが、全くないのも問題です。(肉体を持って生まれた以上完全に無くすのは無理です)

その他にも、罪悪感が良い形で機能した時は「自分を律する」ことにつながります。

同じ、「遅刻をしない」でも

怒られるから遅刻をしないのではなく、

遅刻をすることで相手に迷惑をかけるからしない

という自制心になります。

問題なのは、必要以上に持ったために心が苦しくなることです。

罪悪感が強すぎれば、理想の自分になりたいための「超自我」と同じで心の自由を奪われますので、減らしていくことをお勧めします。

罪悪感とは?

自分を責めてしまう気持ちです。何によって責めるかで大きく4つに分けて考えてみます。

  1. 行動したことによるもの
  2. 行動しなかったことによるもの
  3. 出来なかったことに対してのもの
  4. 自分の在り方に対するもの

4種類の罪悪感

1.行動したことによるもの

悪い事をしてしまった、人を傷つけるようなことをしてしまった、嘘をついてしまった、など。

2.行動しなかったことによるもの

仕事をサボってしまった、困っている人を見て見ぬフリをしてしまった、頼まれたことをやらなかった、など

3.出来なかったことに対してのもの

努力や行動、能力不足などにより、目標を達成できなかった、人に喜んでもらえなかった、など

4.自分の在り方に対するもの

自分はこんなに恵まれていいのだろうか?自分だけ得をしたのではないか? といった状況に対する罪悪感から、生まれてきてごめんなさいといった自分そのものに対するもの、など

「外部」からと「内部」からの罪悪感

罪悪感がどこから来るのかについて、大きく2つに分かれます。

1つは外から植え付けられたもの。もう1つは自分の意思で持ったものです。

外部からの罪悪感

外部からの罪悪感を持ち続けるのは、罪悪感を持つことで問題が解決できると思っているからです。

罪悪感を持たなければ許されない、持つことで謙虚で良い人だと思ってもらえるという経験を繰り返した結果、そのような考えになります。

人は誰かを思い通りに動かしたい、コントロールしたいと思う時に、罪悪感を植え付けて心へ制限をかけます。

毒親が子供へやっているのがそれですね。

思い通りに動かなければ、

「悪い子だ」
「どうしてそんなに悲しいことをするの?」
「こんなにあなたのことを思っているのに」

といった罪悪感を植え付けます。

これは親から離れても罪悪感を持ちやすいという効果が持続します。

何か悪いことがあった時「自分が悪いから」「自分のせいだ」という起点で考えるからです。

自由で幸せな状態に違和感を覚え「幸せになってはいけない」「幸せになるのは悪いことだ」という不安さえも持ってしまいます。

脳がそのような働きをする癖がついてしまい、いつまでもその状態から脱せられません。

内部からの罪悪感

これは意外にも、自分が優れていると思いたいがために起こります。

自分は頭が良いのだから気取ってはいけない、優れているから低姿勢でいなければいけない、余裕があるから助けなければいけない、等です。

例えば

この職場は自分がいなければ皆が困る、だから辞められない
このサークルは自分で成り立っているから全ての回に出席しなければいけない

という罪悪感を自ら持ってしまうなどです。

これは事実かどうかということよりも、心の制限になっているのが問題です。

1人が辞めれば困るような職場ならば、職場のシステムの問題です。自分で成り立っているサークルなら、自分の代わりになるような人を育成すれば良いのです。

これは、原因と結果をひっくり返して考えている例でもあります。

自分が必要とされているのか不確かなので、罪悪感を持つことで自分が必要な存在だと思うようにしています。

上記の発言はキツイと思われるでしょうが、こう考えると責任感で制限をかけることが防げます。

ある特撮系の映画に

「大いなる力には大いなる責任が伴う」という有名なセリフがあります。

これは結構曲者な考えに思えます。その「大いなる責任」という制限を自分にかけろという押し付けです。

大いなる力を持って何かを行えば、周囲に依存と不安を与えます。

正義の味方が悪を倒し平和を守るシステムでは、正義の味方に依存しきってしまいます。悪の側に加担することはないのかというような不安を生じさせます。

そうならないに「責任」という言葉で縛ろうとします。

責任とは、何かが起きた時にそれに対して応答・対応する義務のことです。なので大いなる力を持つ人は常に連絡可能な状態にしておけば良いのかもしれません。

徳の上昇と罪悪感

徳を積んで高くなるほどに、罪悪感は減っていきます。

ですが、徳の高い状態で低い場に居れば、罪悪感で制限をかけられます。

(他の人にはそのような事はしないのに)徳の高い人にだけ色々なことを押し付けてきます。

「他の人に言っても無理なのは分かるだろう」
「期待してたのに」
「頼りにできるのはあなただけ」
「それぐらいのことやってくれてもいいのに」

などと、情に訴えてきます。

これに負けて、自分で罪悪感を持つようになれば相手からすればしめたものです。

このような場所は、ある程度勤めてカルマを解消したら、さっさと自分の徳に適した場所に移動するのが一番です。

まとめ

  • 最悪感は外から植え付けられたものと自分から湧くものの2種類がある
  • 外部からの罪悪感を持つのは、それで問題が解決できると思っているから
  • 自らの罪悪感は、自分が立派だと思いたいから
  • 徳が高いのに低い場に居れば、罪悪感で色々押し付けられやすい

罪も許しも、結局は自分が作りだしているものです。自分さえ許せば、人が許さなくても関係ないからです。

そして、自分を許せば人を許せます。逆に人を許すことで自分を許せるようになります。

許せないならそれでもいいと思います。許せないことが許せないなんて、ただ苦しいだけですよね。

感情は「認めるだけ」で、解決に向かって進んでいきます。

なので、許すにしても無理だとしても、その気持ちを素直に受け止めるのが大切です。罪悪感をごまかすために他人のせいにしてしまうことがありますが、それを続ければいつまでも消えません。

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