本当の優しさは「正しく」見返りを求めなければ実現しない

心の話
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こんにちは。くまの(Kumano@deguneko)です。

本当の優しさは見返りを求めないと言われます。

何故見返りを求めてしまうのか? 見返りを求めないためにはどうすれば良いのか?とは、よく議論される内容です。

ですが、見返りを求めない優しさはありません。(もちろん見返りを求めない風には出来ます)

「見返りを求めない優しさ」を持ちたい理由はなんでしょうか?

  • 立派な人になりたい
  • 誇れる自分で在りたい
  • 尊敬している人のようになりたい
  • 陰徳を積みたい
  • ただ皆に幸せになってほしい

など、様々な理由があると思います。でもこれって見返りですよね?

立派な人になりたいという見返りを求めているから、見返りを求めない(風な)優しさを持ちたいと思っているということです。

本当の優しさは求めている見返りを自覚した上での優しさです。そうすれば優しさとして機能します。

今回の記事では、マズローの欲求5段階説を使って、優しさと求める見返りについて書いていきます。

見返りを求めない優しさは「綺麗ごと」ではなく「汚いこと」です。(理由は記事中にあります)

本当のやさしさについては以下の記事もどうぞ

マズローの欲求5段階説で分かる求める「見返り」

マズローの欲求5段階説
  1. 第1段階 生理的欲求:ご飯食べたい、寝たい、トイレに行きたい
  2. 第2段階 安全欲求:安全な暮らしかしたい、危険を避けたい
  3. 第3段階 所属と愛の欲求:家族、会社やサークルなど仲間に受け入れられたい
  4. 第4段階 承認欲求:自分の価値を認めてほしい、
  5. 第5段階 自己実現欲求:あるがままの自分と皆の幸福の両立

人は、第1段階から、第5段階の自己実現欲求へむけて成長していくという理論です。

求める見返りは、この欲求のどの段階にいるのかで決まります。

何のために優しくするのかで、どの段階にいるのかの目安になります。

各段階と求める見返りの関係

第1段階 生理的欲求

生きていくために必要な、基本・本能的な欲求です。

この欲求を満たすために優しくします。

優しくすることで、ご飯が食べられると書くと違和感があるかもしれません。

別の言い方をすれば、

優しくない状態=自分勝手にわがままに振舞うことで、職を失い食費も稼げなくなるかもしれない、なので優しくするといった感じです。

第2段階 安全欲求

安全に暮らしたい、身の危険を感じる恐怖を避けたい欲求です。

この欲求を満たすために優しくします。

優しくしないことで、生活の場(家賃や光熱費など)を維持するお金が稼げない。危険があった時に周囲の人に助けてもらえないかもしれない、なので優しくします。

第3段階 所属と愛の欲求

家族や会社などの団体に所属し、受け入れられたい欲求です。

この欲求を満たすために優しくします。

仲間に受け入れられ仲良くしてもらいたい、という理由で優しくします。

第4段階 承認欲求

他者承認欲求:人から認められたい、尊敬されたい
自己承認欲求:自分で自分を認めたい

この欲求を満たすために優しくします。

他者承認欲求なら、優しくていい人だ、尊敬する、好ましい人など、他の人に認めてもらいたいために優しくします。

自己承認欲求なら、このように親切な行いが出来る自分、良い心がけが出来る自分は誇らしい、偉いなど、自分自身が納得できる自分でいたいために優しくします。

第5段階 自己実現欲求

あるがままの自分とみんなの幸福を同時に成り立たせたい欲求です。

この欲求を満たすために優しくします。

自分のやりたいことと、周囲の幸せが両立する方法が「優しさ」だった場合、優しくします。

行動の「優しさ」と目的の「見返り」の関係

見返りを求めない優しさ?

上のマズローの欲求5段階説では

自己承認欲求:自分で自分を認めたいための優しさ
自己実現欲求:みんなが幸せになる手段として優しくする

この2つが、いわゆる見返りを求めない優しさです。

他の段階なら

  • 生理的欲求:生きていくための優しさ
  • 安全欲求:安全な生活を確保するための優しさ
  • 所属と愛の欲求:仲良くしてもらうための優しさ
  • 他者承認欲求:尊敬され褒めてもらうための優しさ

なので、自分が良い思いをしたいための優しさと言われます。

見返りを求めていないようで求めている

自己承認欲求でも自己実現欲求でも、実際は見返りを求めています。

優しくすることで、誰かの助けになる、役立つ、良い結果になるなど、誰かに良いことが起こる、誰かのためになることです。

「ただ幸せになってもらいたい」でも、幸せになって欲しいという欲求があります。

それが叶わないなら、優しくしません。

優しくすることが、かえってその人のためにならないなら優しくしません。
優しくすることで、誰かの活躍する機会を奪う結果になるなら優しくしません。

欲求が叶わない場合は優しくしないので、見返りを求めていると言い切れます。

見返りを求めるのは悪いことではない

目的があるから行動します。

それが、

みんなと仲良くなりたい、生き抜くため、誰かに褒めてもらいたい、

という目的でも

納得する自分で在りたい、みんなに幸せになってほしい

という欲求を満たすものでも

目的を達成するために行動をしています。それも「良い」行動です。

「悪いこと」どころか「良いこと」です。

見返りを求めることがデメリットになる時は?

求めている見返りが、実際に求めているものと違う場合です。

自分が求めている見返り=意識
実際に求めている見返り=無意識

意識と無意識が違っていれば、問題になります。

心が綺麗というのは、優しい人でも道徳的な生き方をすることでもありません。意識と無意識が一致していること、ただそれだけです。

極端な話、裏で悪口を言いながら当人の前で優しくする人を「心が綺麗」とは言えません。

なので

見返りを求めない優しさは「綺麗ごと」ではなく「汚いこと」です。見返りを求めている無意識に気が付いていない状態だからです。

よくあるのが、

優しくするのは当然のことだ(自己承認欲求)ではなく、感謝されたい(他者承認欲求

の、勘違いです。

他にも

ただ幸せになってもらいたい(自己実現欲求)ではなく、優しくできる自分は立派だ(自己承認欲求

などがあります。

満たしたい欲求を勘違いしていれば、返ってきた結果に不満を持つ場合も出てきます。

しかも本人は不満の理由が分かりません。無意識と意識がバラバラだからです。

良いことをしたはずなのに、心がモヤモヤするかもしれません。結果満たされない欲求を嫌味で表現するかもしれません。

「やってもらって当たり前とか、人としてどうかと思う」
「自分はいいんだけどね、他の人だったら怒るんじゃないかなぁ」などです。

そう言われれば、

「そんなに恩をきせるならやってもらわない方がいい」

と思われ、良いことをしているはずなのに、不本意な結果になります。

これでは優しいとは言えません

なので、

求めている見返りは何か、を知ることが大切です。

本当の優しさとは、優しさとして機能、優しさが現実化している状態です。

求めている見返りを自覚した上での優しさが本当の優しさではないでしょうか?

まとめ

  • 本当の優しさは、実質的に優しいこと
  • 実質的な優しさは目的と行動が一致している必要がある
  • マズローの欲求5段階説と求める見返り生理的欲求:生きていくための優しさ
  • 安全欲求:安全な生活を確保するための優しさ
  • 所属と愛の欲求:仲良くしてもらうための優しさ
  • 他者承認欲求:尊敬され褒めてもらうための優しさ
  • 自己承認欲求:自分で自分を認めたいための優しさ
  • 自己実現欲求:みんなが幸せになる手段として優しくする
  • 幸せになって欲しいための優しさも「幸せになって欲しい」欲求を満たすためにしている
  • 意識と無意識が一致しない優しさは、本当の優しさではなくなる
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