こんにちは。くまの(Kumano@Rpgmg)です。
「幸福とは義務である」とは、アランの幸福論に書かれている言葉です。
アラン(本名Emile-Auguste Chartier)はフランスの哲学者です。
幸福論という、幸福とは何かを考察している本があります。多くの幸福論が出版されていて、中でも三大幸福論と呼ばれる
- ヒルティの『幸福論』
- アランの『幸福論』(1925年)
- ラッセルの『幸福論』(1930年)
が有名です。
この記事では、「幸福は義務」について私の解釈を書いてみます。
幸福とは権利ではなく義務
「アラン」幸福論の言葉
悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ
気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す
ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである
幸福になるには、幸福になるしかたを学ばなければならない。幸福はいつでもわたしたちを避ける、と言われる。人からもらった幸福についてならそれは本当である。人からもらった幸福などというものはおよそ存在しないものだからである。
幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだと思う。
幸福は権利?
幸福は権利だと言われます。
私たちは幸福になる権利があって、誰もそれを邪魔してはいけないという考え方です。
実際に幸福追求権という「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」が日本国憲法で定められています。
幸福は義務という考え方
この記事で書く「幸福は義務」とは、憲法や法律について反論しているものではなく、こういう考え方も言われていますよという内容です。
権利を守ることは大変な作業なのでそういう意味なら分かります。
一方、権利だから与えられて当然とか、生きていく上で始めから持っているべきものとか、そういう気持ちでいれば幸福は手に入らないものかもしれません。
誰かに与えられたとすれば、自分の意志とは関係なく失うかもしれません。
なぜ幸福は義務なのかといえば、
- 幸福でなければ周囲の人に迷惑をかける
- 義務なので放棄してはいけない
- 幸福になるためには地道な努力や心がけが必要
だからです。
下に詳しく書いていきます。
なぜ幸福が義務なのか?
幸福でなければ周囲に迷惑をかけるから
幸福な人同士なら、「幸せのおすそ分け」と嬉しい出来ごとを言い合って聞いた方も話した方もより幸福になるという循環を作ります。
ですが、幸福でない場合はそうなりません。
自慢話だと妬み、成功を否定し、足を引っ張ろうとさえします。
幸福は人から見て「うらやましい」と思われることだ、という解釈になります。なので見栄を張って幸せそうな様子を見せびらかします。
見せびらかされた人は妬み、自分はもっと幸せなのだとアピールしはじめます。アピールされた人は妬み…という地獄絵図です。
例え話をします。
幸福=健康 不幸=不健康 だとします。(あくまでも例えです)
不機嫌は感染するので風邪に例えます。
就職をした時、健康を維持する義務を会社側に要求されます。
病気で欠勤を繰り返せば仕事に穴があきます。出勤したとしてもいつも体調が悪いならミスを繰り返し、周囲がフォローしなければいけないので迷惑をかけます。
健康でいるためには、規則正しい生活、暴飲暴食を避ける、しっかり睡眠をとる、気温の調整など地道な心がけが必要です。
寒い格好で寝てしまったなどで風邪(=不機嫌)になれば、回復させることが義務になります。
「周囲は健康(=幸福)なのに、自分だけ風邪(=不幸で不機嫌)なんて不公平だ! みんな風邪をひいてしまえ!(=みんな不幸になれ) ゲホゴホ!」
「風邪は人にうつせば治ると聞いた! (=周囲が不幸なら自分は幸せ)ゴーッホゴホ!」
と風邪(不機嫌)をまき散らすなどもってのほかです。めっちゃ迷惑です!!
でも実際に不機嫌で八つ当たりしている人っていますよね。これは幸福を与えられるべき権利と思っているからではないでしょうか?
義務なので放棄してはいけないから
「自分なんかが幸せになってはいけない」
「幸せになる資格なんかない」
とは、権利だから放棄してもよいという考え方です。
上の、健康=幸福 不健康=不幸で書けば
「私なんかが夜暖かくして眠るなんてしてはいけない!」
「野菜たっぷりの食事なんてしてはいけない!ポテチで一食を済ませなければ」
「信号を守って交通事故に遭わないようにするなんて、危険な場所に飛び出さなければいけない」
こんな感じになります。
風邪をひけば仕事に穴があくし、
貧血で仕事のミスを連発するかもしれないし
急に飛び出されれば、まず相手の車がすごい迷惑です。
例え話なので極端なことを書いていますが、実際に幸福をさけるのってこんな感じではないでしょうか?
幸福でいれば余裕が生まれ、社会での役割も果たせます。でも余裕がなければ逆に人に心配をかけたりします。
なので幸福になる義務は放棄してはいけません。
幸福になるためには地道な努力や心がけが必要
幸福になるために
- 体調を管理する
- メンタルを鍛える
- 自分の機嫌は自分でとる
- 自分の価値観を大切にする
- 良いことをして徳をためる
など、地道な積み重ねが必要です。
なので、与えられる権利と思うより、果たす義務と考えた方が上手くいきます。
まとめ
私が実際に読んだ(聴いた)アラン「幸福論」です。