実は本音・本心なんていうものは存在しませんよ、
というのが(少なくとも私が勉強した)トランスパーソナル心理学の見解です。
たしかにその話を聞いていくと、本心なんて人が勝手に作り出した概念だなと分かります。
同時に、「本当はあの人はー」という「本性」も、ある意味妄想なのかも感じました。
今回の記事では、本心・本性が「ない」という理屈と、囚われることでの弊害について書いていきます。
何をもって本心とするのか?
今は夏ですが、寒い冬を想像してください。
やっと訪れた休日、朝はぬくぬくのお布団で寝ていたいですよね。
ですがその日の早朝に、何か用事を頼まれていたとします。行った方が良いけれど行けなくても何とかなるような用事です。
考えられる結果は
- 行った
- 行かなかった
の、2つありますよね。
それに応じて本心が変わります。
行った時は
「本当は寒くて行きたくなかったけれど、頑張って行った」
行かなかったときは
「本当は行きたかったけれど、寒くて行けなかった」
です。
そこには、この日は寒かったという事実があるだけですね。
つまり、行動しなかった方を本心・本音と思っています。
別の例を出します。
口コミで評判のケーキを買ってきました。中々手に入らない人気商品なので喜びもひとしおです。期待して食べたものの、まぁ普通においしいかなといった程度でした。
その感想を人に言う時に
「さすが人気商品だけあって美味しかった」→本当は大して美味しくなかったんだけどな
「全然美味しくなかった、口コミなんてあてにならない」→本当はそこそこ美味しかったんだけどな
といった感じになります。
同じケーキなのに、発言によって味の評価まで変わっていますよね。
これは、発言しなかった方を本音ととらえているからです。
これによって何が分かるかといえば、
本音・本当の気持ちと認識しているものは、その時の状況によって変わりますよ、自分の心を観察するときはそれを踏まえなければ見失いますよ、
ということです。
寒い早朝の例ならば
寒いから行きたくないが60%、用事なんだからやらなくてはが40%、かもしれません。
ケーキの例ならば
期待していたのにがっかりが70%、美味しいが20%、もっとおいしいケーキがあるが10%
かもしれません。
これらを全て含んで考えて、はじめて自分の心か観察できます。
何をもって人の本性とするのか?
少女まんがでありそうなシチュエーションを書きます。
ぶっきらぼうで服装も乱れた、いわゆる「不良少年」が、こっそりとケガした雀の手当てをしています。
それを見た同じクラスの女の子が
「あの人は本当はやさしい人なんだ(キュンッ)」と、なります。
別の方向から見てみます。雀の手当てしている所を見かけているご近所さん。服装は不良っぽいけれど、やさしい子だと思っていました。
その後、その少年が学校付近でクラスメイトにぶっきらぼうな返答をしているのを見かけます。
そうしたら
「心優しい少年だと思っていたのに、本当は乱暴な子だったんだ」
と、思うかもしれません。
人は、今まで自分が知らなかった面を、その人の本性と判断しがちです。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という漫画(アニメ)があります。そこに本田 速人(ほんだ はやと)というキャラクターがいます。
主人公の両津 勘吉(りょうつ かんきち)の事を「せんば~い」と呼び、なよなよっとした感じなのにバイク(白バイ)に乗ると急に顔つきがキリッとして呼び方も「両津の旦那」となる、あの人です。
本田さんについて、
バイクに乗った姿を知らなければ、「やさしそうに見えてハンドルを握れば本性を表す人」と言うかもしれません。
逆に、白バイに乗る姿しか知らなければ、「普段はあんなに頼もしいのに、実はナヨナヨしている人なんだ」と言う可能性もあります。
挙句の果てに「裏切られた」と言うのかもしれません。
本田さんの本性は、普段ナヨッとしている方でしょうか? それとも白バイでぶっ飛ばしている時でしょうか?
答えは単純で、普段は弱気だけれどバイクに乗ると荒々しくなる人 です。
両方が本田さんなわけで、片方が偽りとかそういうわけではありません。
(余談)インテグラル理論の「ライン」という考え方
インテグラル理論の中に、発達段階区分があって、「レベル」といいます。どれだけ人間的に成長しているか、というものです。
これは、成長していれば良いというものではありません。もちろん、成長してはいけないものでもありません。
上の「ロバート・キーガンの成人発達理論」は、代表的なものの1つです。
「ライン」というのは、同じ人でも部分によって発達段階が違いますよ、というものです。
例えば、会社で成熟した人格者として仕事をしているのに、好きなスポーツチームの事になると熱くなりすぎて手に負えない、などです。
その場合インテグラル理論ならば、「仕事はグリーンの段階だけれど、趣味の部分はレッドの段階よね」となるし
キーガンの成人発達理論に置き換えれば「仕事は発達段階4(~5)だけれど、趣味に関しては発達段階2よね」といった感じになります。
まとめ
- 本心・本音は、行動しなかった方、言わなかった方ととらえがち
- 人の本性は、自分が今まで知らなかった方と受け止めがち
- 人は分野によって発達段階さえも違う
自分の心を知りたいと内観をしたとします。
ですが、「本当の」にこだわってしまうと、その「本当」を見逃してしまうかもしれません。
本音・本心にこだわって何か1つに決めようとしても、決めた時点で本音や本心から遠ざかるのかもしれません。
余談ですが、鬼滅の刃の我妻善逸について(どれだけ善逸が好きなんだ私は…)
普段は怖がりなのに、気絶すると急に強くなるキャラクターなのですが
同僚の炭次郎や師匠の「じーちゃん」は、善逸のことを「本当は強い」と言います。
あれについては、実力系のものの基準は一番にそれが発揮されている時なので、そういう意味で「本当は」と言っていると解釈しています。