こんにちは。くまの(Kumano@deguneko)です。
人を恨む気持ちを消す考え方として、人を恨まない方が良い理由を書いていきます。
「人を憎むなんて良くない、許して愛しましょう!」なんて内容を書くつもりは毛頭ありません。(自分で書いていて気持ち悪い…)
許さないからこそ恨まない、だって恨んだら目的(何でしょう?棒)が達成できないかもしれないし、という腹黒い理由です。
陥れられた、裏切られたといった、恨んでも仕方がないのかなと思える状態について書いています。逆恨みについてのものではありません。
人を恨むと起きる徳とカルマ
「徳」とは良い心がけや行いで貯まる良いエネルギーで、良い事が起きれば消費されます。
「カルマ」とは、悪い心がけや行いで溜まる悪いエネルギーで、悪い事が起きれば消費されます。
人を恨むと損をする?
人を恨む、腹を立てるなどといった悪感情はカルマを生みます。
だからと言って怒りの感情を抑え込むのはむずかしいものです。
「徳とカルマの理論からすれば損な行為だから、出来るだけ怒らないようにしましょう」と言える程度です。
恨みの感情もそうです。あんな目に合わされた!! など、気持ちが収まらないかもしれません。
ですが、可能な限りそこから意識を逸らすことをお勧めします。
そんな奴のために…カルマを積みたいですか? と思うからです。
恨まれた側に起きること
恨まれた人のカルマが少なくなります。
以外に思われるかもしれませんが、理由は以下の通りです。
カルマは嫌なことが起きれば消費されます。「恨まれる」のは「嫌なこと」です。
恨んでいる相手に対する愚痴を人に言えば、さらに相手のカルマは消費されます。(事実だとしても)悪口を言われるのは「嫌なこと」です。
もちろんその程度で相手のカルマが帳消しになるわけではありません。
なので心が苦しい時は、誰かに聞いてもらって発散してください。
ただ必要以上に言ったり思ったりするのは「もったいないな」とは思います。
「見えない世界」から見た恨む気持ち
散々ひどい目に合わされて、ぼろ雑巾のようにされて、相手を恨んだとします。
「あんな奴、不幸になればいいのに!」
「失敗してしまえばいいのに!」
と、思ったとします。
それは天に祈っているのと同じ状態です。自分がひどい目にあったから天罰という判決を依頼しています。
筋肉少女帯の曲「望みあるとしても」に描かれたストーリー
正しくは、「ノゾミ・カナエ・タマエ」→「望み叶え給え」→「望みあるとしても(完結編)」という3つのストーリーです。
クラスで誰にも相手にされなかった「さみしい少女」は、ある日不幸な事故に遭い亡くなってしまいます。
葬式の日集まったクラスメイトは、さも今まで友達だったかのように「インチキの涙」を流し感傷にひたっています。
ただ「さみしい男」だけは本当に悲しくて泣いていました。
そしてその反吐が出るような状態に対し、「全て燃えてしまえ、みじめな灰に還れ」と神に祈りを捧げます。
5100度の炎と、放たれた火の矢でパニックになる中、祈りを捧げた男は神に感謝しました。悲しいフリをしている人々に天罰が下ったと思ったからです。
ですが、その「さみしい男」も、火の矢で喉を射抜かれました。
天に裁判を依頼する?
「望みあるとしても(完結編)」で、少女のために怒り祈った男も天罰を受けた、というこの状態が、天に裁判を依頼した結果が表現されていると思います。
天に罰を願った場合、願った当人は蚊帳の外というわけにはいきません。
相手と当人の両方を審判にかけられます。そして当人に「恨みが発生する原因」があれば、その報いを受けます。
「発生する原因」は、因果のことです。
相手の行動に対し、自分には全く原因がなかったのか? となれば、ほとんどの場合に因果関係があります。
「さみしい少女」は「さみしい男」が声をかけたり友達になっていれば、こういうことにはならなかったのかもしれません。
天からすれば、他のクラスメイトと同等の罪とみなすようです。
恨みが成就しないという加護
恨んでいる時は相手に何も起こらないのに「もういいか」と割り切ったとたんに相手に悪い事が起きた、という話をよくききます。
恨んで恨んで、藁人形まで買ってしまって、でも藁人形を見た時に「自分って何をやっているのだろう」と急に冷めてしまい、人形を燃やした。
そうしたら次の日、かつて恨んでいたあの人が大やけどを負っていたと知った、などです。
藁人形の話は少し極端ですが、恨むのをやめるなり相手に何かが起きる ー 言い換えれば恨んでいる間は何も起きない、という話をきくと、護られているなぁ、加護が厚いんだなぁと思います。
自分自身を担保に相手への罰を依頼しているのを「聞かなかったこと」にしてくれているわけです。
引き寄せが叶うという「第6チャクラ」を使って、恨みを成就させる技があるのは知っています。でも願った恨みが成就するのって、本当は良くない状態です。
放っておけば勝手に自滅する相手なのに、あえて「願いを叶えた」形で相手に悪いことが発生するようにしている?と感じるような話もききます。
とりあえず叶えておいたけれど、一時的なもので、相手は無傷どころかより発展したとか、そういうことさえもあります。
カルマを積ませているとしか思えないようなパターンを天が使うのも知っています。(理由はその時々で様々なようです)
感情のケアは忘れずに
恨みを持ってしまうような目に合わされて、
「悲しい」
「つらい」
という自分の気持ちは忘れずにケアしてください。
放っておくのは恨みの対象だけです。
自分の心は大切にしてください。
感情に向き合い、認めるだけでも少しずつ癒されていきます。積極的に癒すものもちろん良いことです。
恨む代わりにやる別のこと
私が個人的にお勧めするのは、その恨みの関係性から全く離れたところで、何かに誰かに「恩返し」をすることです。人がやっている恩返しの、そのお手伝いでももちろんOKです。
それで、まず心が癒されます。
その上、恨みの関係性の輪から、気持ちはもちろん物理的にもスルスルと離れていけるようになります。それが「がんじがらめの縁」でも突破口が見えてきます。
そして徳を貯めて良い目に遭いましょう!
まとめ
- 恨むとカルマが溜まる
- 恨まれるとカルマが減る
- 恨み相手の不幸を願うのは、天への裁判依頼と同じ
- 恨んでいる時に何も起きないのは、加護が強いおかげ
- 恨みが成就するのは危険
- 輪から離れ徳を積むと縁も切れていく
許せない相手は「恨んであげない」という考え方です。
人に対し恨みの気持ちを持つ理由の1つとして、深層恐怖を刺激されていることがあります。
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