こんにちは。くまの(Kumano@Rpgmg)です。
マズローの欲求5段階説というものがあります。
人は下位から上位の欲求へと向かっていくその欲求を図にしたものが「マズローの欲求ピラミッド」です。
一方で、マズローの欲求ピラミッドは古いモデルなのではないかと、ミネソタ大学などの進化心理学者たちが新たに提唱したのが「ケンリック欲求ピラミッド」です。
参考 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3161123/
今回の記事ではこの2つの欲求ピラミッドを比較、考察していきます。
マズローの欲求ピラミッド
- 第1段階 生理的欲求:ご飯食べたい、寝たい、
- 第2段階 安全欲求:安全な暮らしかしたい、危険を避けたい
- 第3段階 所属と愛の欲求:家族、会社やサークルなど仲間に受け入れられたい
- 第4段階 承認欲求:自分の価値を認めてほしい、
- 第5段階 自己実現欲求:あるがままの自分と皆の幸福の両立
人間は第1段階の欲求を満たしてから、第2,第3と順に次の欲求が起きるという理論です。
まずお腹を満たし(第1段階)、身の安全を確保し(第2段階)、仲間を見つけ(第3段階)、人に一目置かれ(第4段階その1)、自分に誇りを持つ(第4段階その2)
すべての欲求が満たされて、自己実現という個を超えみんなの幸せが自分の幸せという段階に入ります。
マズローが設立した「トランスパーソナル心理学」のトランスパーソナルは、個を超えることを指しています。
ケンリック欲求ピラミッド
ケンリックの欲求ピラミッドを日本語にしたものが下の図です。
- 緊急の生理的欲求:お腹が空いた、呼吸をしたい
- 自己防衛:安全な場所での生活、ケガや病気の治療
- 所属:家族や会社やサークルなどの一員になりたい
- 地位/尊厳:団体の中で良い地位につき尊敬されたい
青の点線よりも下の欲求は、マズローの欲求と基本的には同じだと考えられます。
- 第1段階 生理的欲求=緊急の生理的欲求
- 第2段階 安全欲求=自己防衛
- 第3段階 所属と愛の欲求=所属
- 第4段階 承認欲求=地位/尊厳
ケンリックの欲求ピラミッドでは、自己実現ではなく、配偶者と出会い仲良く暮らし、子どもを育てていくのが高次の欲求としています。
2つのピラミッドの違い
高次欲求の違い
生命維持のための生理的欲求を満たし身の安全の確保、仲間を作り認められ人間になるという欲求を満たしたその先に目指すものが
- 自己実現
- 幸せな家庭を築き子育て
なのかの違いです。
自己実現は、自分の幸せと他者の幸せが一致した状態です。無意識よりも深い集合的無意識と一体化し、多幸感の中利他的な行動をしていきます。
(自己陶酔したスピ系や自称ライトワーカーとは別物です)
子育ても利他的な行動です。子どものために睡眠を削り身を粉にして働き尽くします。子どもの喜びが自分の喜びです。寝顔を見るだけで多幸感に包まれます。
(ただ子どもを甘やかし可愛がるだけの「優しい虐待」とは別物です)
生き方の違い
マズローの欲求ピラミッド的な信条なら、何か極めたいもの、やり抜きたいものに全力を捧げたいと、生きる中心がそれになります。
結果、彼氏彼女などの恋愛はもちろん他の娯楽や息抜きにさえ興味が薄くなるか、極めたいものの邪魔になると排除します。
ケンリック欲求ピラミッドが信条なら、友情を育み恋愛に悩み趣味を楽しみます。○○をすればモテるかもと、恋人探しを意識して趣味をやる場合もあります。
何かに没頭し過ぎれば生活に支障が出るので、のめり込みすぎないよう制限をかけます。
マズローの欲求ピラミッドが信条でも友人と遊び恋愛もします。
ケンリック欲求ピラミッドでも時には何かに没頭します。
どちらが中心なのかという話で、どちらかの生き方しかしないというわけありません。
肉体と精神(本能と魂)の違い
元々マズローは行動心理学を研究していた人です。
研究を進める中、自分の師を始め世の中の尊敬できる人達の心理は今までの病理心理学などでは解明出来ないということから別の研究を始め、自己実現という人格理論に至ったと言う経緯があります。
高次の精神や魂とは何かという観点です。
ダグラス・ケンリックは「野蛮な進化心理学」という著書で有名な学者です他にも「きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか」などがあります。
人は肉体を生かし種を守るシステムとして「本能」があります。すべての欲求は「自己の生存」と「遺伝子の中継」に繋がるという、肉体や本能を主要なものとしての観点です。
「マズローの欲求ピラミッド」と「ケンリック欲求ピラミッド」どちらが正しいのか?
どちらも正しい
両方が正しいと考察します。
人によってどちらのピラミッドを軸として生きていくか違うだけです。2つのピラミッドを見た時に
(意図せずと)も自己実現を目指す生き方をしている人ならマズローのものに共感します。世間一般的にはケンリックの欲求ピラミッドが支持されるはずです。
マズロー的5~10%:ケンリック的90~95% くらいだと考察できます。(現在自己実現に至る人の割合が1%~2%と言われていることから)
生きづらさでいえば、少数派の自己実現を欲求に持つほうが圧倒的ではないかと思います。
信条が変わることも?
ケンリック的な信条の人が、筋トレすればモテるかもとジムに通った結果、ハマってしまい大会優勝を目指すようになることもあります。
ボディビルダーの食事制限は厳しく、今まで通り友達とご飯を食べにいくことも難しくなります。日常の楽しみを犠牲にしても極めたいものを大切にする生活です。
今まで何かに没頭して全てを捧げていたのに、結婚し子どもが出来た瞬間子どもが何よりも大切になり、子ども中心の生活になる場合もあります。
信条が変わったのではなく、本来の欲求に気が付いたからかもしれません。
どちらの信条の人が良い作品を創るの?
どちらの信条でも、自分に対し正直である人ならば良い作品を創ってくれていると感じています。
マズローの方が全てを捧げて全力投球するのだから、圧倒的にマズロー的な信条だろうと思われそうですが、
- マズロー的な生き方をする人にとってはマズロー的な人が作った作品を最高と思い
- ケンリック的な生き方をする人にとってはケンリック的な作品に感動する
ので、どちらが良いというものではありません。
ケンリック的な人が人口の90%を占めるので、そちらのほうが世間には支持されやすいという現状はあります。音楽で恋愛ソングが大半なのもその理由です。
マズロー的な人が心から納得したものを創った時は、その精神性の高さは圧倒的で身動きも取れないほどです。命をかけて創っているのだから当然の話です。
私が聴く音楽のほとんどはこちらの方面で、マイナーだのマニアックだのとよく言われています。
一方、ケンリック的な信条の人が創ったものにも美しさを感じることがあります。
「音楽に夢中になる人の中には、音に没頭するために視力を無くしたいと思う人もいる。でも自分の音楽は違う。家に帰って家族がいて楽しいね、幸せだねというそんな気持ちを音楽でも奏でたい、それが自分にとっての音楽への愛だから」
という気持ちを音から感じ取った時には、こんなに綺麗な気持ちがあるんだなと思いました。
まとめ
- マズローの欲求ピラミッドは「自己実現」を目標にしたもの
- ケンリックの欲求ピラミッドは「配偶者との子育て」を目標にしたもの
- 2つのピラミッドは、本能と魂のどちらを主軸にしているかの違いで、結果生き方や目的が違う
- 生き方や信条の違いでどちらに共感するかが変わるので、両方が正しい
ケンリックの欲求ピラミッドは、「マズローのものは古い、現在の人間の欲求はこうだ」という意味で作られたと聞いています。
ですが、単純に信条の違いの話で、世間一般ではケンリック的なものが推奨されているという話だと感じました。
どちらが正しいわけではなく、自分がどちらなのかを把握し目標を目指していく生き方が正しいのだというのが私の結論です。