デグーという小動物を飼っていました。
デグーはネズミのような外見をしたげっ歯類で
- 体重350g以下
- 体長12~20cm
- 完全な草食動物
- 知能が高く道具が使える
- 多様な鳴き方をするため別名「アンデスの歌うネズミ」
といった特徴があります。
下の写真はおやつ牧草を食べつつ体重測定している家のデグーです。
家のデグーを見ていてよく感じていたのが、ただ楽しく生きているという気持ちでした。
まさに、無=(最高の状態)です。
今回の記事では、無=(最高の状態)で生きた家のデグーについて、最後にオチを入れながら書いていきます。
無=(最高の状態)とは
サイエンスライターである鈴木祐(すずき・ゆう)さんの著書です。
意味のない不安に囚われ生き辛い現状を、いかに 無=(最高の状態) にしていく方法を、認知行動療法を軸に解説されています。
「無」といっても虚無ではなく、不必要なものに邪魔されない、在るべき最高の状態のことです。原始仏教での涅槃(ねはん)にも通じるものです。
無と聞けば難しそうに感じるかもしれませんが、何かに没頭して時を忘れたり、無我夢中で楽しむような状態がそれにあたります。
誰にでもつらく苦しい出来ごとはおこります。それは避けられません。
その実際に起きた苦しみを「一の矢」とします。
人は外部からやってきた一の矢を受けると、自ら自分に対し、二の矢、三の矢と放ち続け苦しみもがきます。
これが 無=(最高の状態)になれない理由です。
例を書いてみます。
転んで足を捻挫したとします。
本来なら足の捻挫が痛くて不便だな、転ばないように気をつけようと思いつつ、職場に状況説明をするだけで矢の痛みは終わるはずです。
ですが実際は以下のようにどんどん矢が刺さります。
- 転んで足を捻挫した→一の矢
- 仕事で迷惑をかけてしまうかも→二の矢
- 家族にも迷惑をかけてしまうかも→三の矢
- これをきっかけに仕事をクビになるかも→四の矢
- 捻挫ではなくて実は骨折かも→五の矢
- もうこの足は治らないかも→六の矢
起こるかどうかも分からない物語を作ってまで、自分に向かってどんどん矢を放っている状態です。
無=(最高の状態) について、著者のインタビュー記事のリンクです。興味のある方は読んでみてください。
#1 人間の脳は、勝手に“歪んだ物語”をつくりだす。私たちはなぜ「苦しみ」をこじらせるのか?
#2 苦しみのメカニズムは「痛み×抵抗」。世界一幸せな部族に学ぶ、“心の痛み”から逃れる方法
#3 頭の中だけで100から7ずつ引き算すると安定する。数分で気持ちが楽になる3つの処置法
家のデグーの 無=(最高の状態)
哺乳類動物は苦しみをこじらせない
無=(最高の状態) の中で、
何故チンパンジーは下半身不随でも幸福なのか?
についての話がありました。
京都大学の霊長研究所で飼育されているチンパンジーのレオが、脊髄炎のために下半身が動かなくなりほぼ寝たきりの生活になったという話です。
意識があるのに体は動かないという状況の中。レオは、体の痛みや空腹をうったえることがあっても、ストレスホルモンは正常値だったそうです。
下半身不随でも平常心を保ち続け、着実にリハビリをこなし3年後には歩けるまでになったとか。
同じことが人間に起これば、悲観に暮れ絶望してもおかしくはありません。
これは、動物が苦を持たない・感じないと言う意味ではなく、苦をこじらせていない結果だとこの本で述べられています。
このチンパンジーのレオの話を読んだ時に、まるで家のチョコのようだと思いました。
家のデグーのチョコは、1年もの間具合が悪く動物病院にも通っていました。
歩けない、食餌も受け付けない状態でも、目はぱっちり開いて楽しいことを探していました。
一緒に過ごしてくれたペットたちが飼い主に見せてくれる
生きることが普通に楽しいという気持ちにはすごく癒され力付けてくれます。
家のデグーの 無=(最高の状態)
家のデグーのチョコは、2021年10月に虹の橋の元に行くまで、約一年間闘病生活をしていました。
不正咬合(ふせいこうごう)という咬み合わせが悪く痛みを伴う症状が出るようになってから、いくつかの病気を兼ねるようになりました。
動物病院で定期的に歯を削るなどの治療をしていましたが、痛みや腫れが引きませんでした。
痛みを少しでも軽減するために、下の前歯を抜く処置を行い、食餌を摂るのがかなり不自由になりました。
残った奥歯で牧草は食べてくれていたのですが、ペレットやおやつには前歯が必要だったようで自力で食べるのが難しくなりました。なので日に1~2回強制給餌をしていました。
強制給餌を楽しんでいた
強制給餌ですが、悲惨な感じはまったくなく親鳥がヒナに食餌を与えるようでした。
仰向けに保定されているのに、
「ごはん♪ ごはん♪」と言わんばかりにわくわくして待っていて、
口に食餌を入れたら喜んでパクパク食べて、「おかわり! おかわり!」と足をジタバタさせて催促します。
リハビリは不可能を可能にする楽しいチャレンジ
前庭機能障害という、方向感覚がわからなくなりめまいがする症状になりました。
方向感覚、上下左右すら感覚がわからないから水も飲めない、めまいで気分が悪くて歩けない状態です。
そんな中でも、手で抱えたら機嫌よく、幸せそうにしていました。
病院にも行き状態が落ち着いたので室内散歩をさせてみると、まっすぐ歩く練習をずっとやりつづけていました。自主練です。
しかも楽しそうに飛び跳ねながら、次はもっと上手く歩くぞと言わんばかりに続けていました。
この自主練は不自由なく歩けるようになるまで毎日繰り返していました。
いつものチョコなら20分くらいで室内散歩に飽きて「迎えにきて(=抱っこして)と催促をするのですが、自主練のこの時期は、1時間~1時間半散歩を続けていました。
下の写真は「散歩に飽きた」とっ呼びに来ているデグーです。
家のデグーの容態急変→動物病院へ→前庭機能障害との診断→昨日からステロイド治療開始
— Kumano@Rpgmg (@KumanoLumichoco) September 24, 2021
自力で歩けず水が飲めなくても目は生きる希望で開いていて、症状が少し落ち着いた現在、バランスをとり前進歩行にチャレンジしつつ散歩部屋を飛び跳ねています。私にはもったいない程元気で良い子だ。#デグー pic.twitter.com/wX2zi4spus
生きることは普通に楽しい
2歳くらいのころ、2週間くらい寝ぐずりをしていたことがありました。
眠りにつくまで楽しく過ごしたいため、楽しくないなら寝たくないという気持ちからのようです。
人に例えれば、寝落ちギリギリまでゲームをしたい、本を読みたい、映画を観たい、というのに近いと思います。
家のデグーは、寝る直前に好きな音楽(クラシックピアノが好きでした)を聴くことで落ち着きました。
人が一の矢を受けた後、二の矢、三の矢と放ち続ける理由は
自分のニーズが満たされていない
から、それを知らせるためなのだそうです。
家のデグーは、満たされないニーズがある時には飼い主である私に常に訴えてきました。
寂しいから撫でて、眠いからだっこしてという単純なものから、
今機嫌が悪いからツンデレするけど全力でチヤホヤしろとか
想定外の行動をされて怒っているから土下座の勢いで詫びろとか、
暇だから何か楽しいことを見せてとか、
単純に自分の欲求を伝えるから、ニーズが満たされないことが少ないのかもしれません。
自分が楽しいようにみんなも楽しくいてほしい
家のデグーは、自分が楽しいのと同じように、周囲も楽しくいて欲しいと望んでいました。
まず、私が音楽などを聴いて楽しんでいると、顔を覗き込みにきます。そして、楽しいね、嬉しいねといったしぐさをします。
私のことはもちろん、家に訪ねてきた人がつらそうにしているとデグーなりに寄り添い励まします。
家のデグーは、下の研究レポートでのコミュニケーション行動をする役割の子のようで、特に周囲を励ます行動が目立ちました。
積極的に環境モニタリングをしたデグーは、パートナーに対しても積極的にコミュニケーションを行い、これによりパートナーの警戒行動が解除される様子が頻繁に観察された。
すなわち、役割分担というよりも集団でいることにより、過剰な警戒が取り除かれた可能性がある。この行動は、社会的集団を形成するデグーにとって、1 匹が周囲の環境を確認するとグループ内のデグーに知らせ警戒行動の短縮という利益をもたらす社会的な行動であると考える。
オチ(矢を放ちまくるデグー)
他の哺乳類動物もそうかもしれませんが、デグーはとにかく食欲旺盛です。
楽しく穏やかに過ごしていても、食べ物のことになれば豹変します。
以前こんなことがありました。
ひざの上にいたデグーに、あるおやつ手渡したところ、一口食べてあまりの美味しさに「きゅううぅぅーー」と歓喜の声を上げました。その後もずっとキュウキュウと鳴きながら必死に食べています。
いつもの様子と違うので覗きこんだ所
「キーーー!!」と、怒り始めました。おやつを取られると思ったのでしょうね。
ごめんねと軽く手で触れると
「キーーーーー!!」
怒ってどうしようもないのでそっとしておいたのですが、私の体が少しでも動くと
「キーーーーー!!」
しまいには外で物音がしても
「キーーーーー!!」
目をひん剥いて尋常じゃない様子で必死に食べ続けています。
一の矢、二の矢のレベルではなくてまるでオートボウガンです。
デグーが食べ物関係でブチ切れるのはいつものことなので、ケージに入ってもらって隠れて食べてもらいました。
まとめ
2021年12月13日(今日)は7年2ヶ月生きた家のデグーのチョコの四十九日です。
苦しいことがあっても元気で楽しく生き続けたチョコへ、感謝と尊敬の気持ちを込めてこの記事を捧げます。