承認欲求をなくす?楽になるための対策は?

心の話
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「強すぎる人」「依存する人」が増えていると言われ、以前から話題になり始めている承認欲求。

そして「承認欲求をなくしたい」「承認欲求がうざい」と、敵視されるようにもなっています。

ですが、承認欲求をなくすのはほぼ無理です。

なくせるすれば、悟りの阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)のレベルまで到達し、涅槃(ねはん)に行く直前とかそんな感じかもしれません。

通常生きている限り、承認欲求はなくせない。

でも承認欲求によって生きるのが苦しい、ではどうすれば良いのか?

について書いています。

承認欲求とは

アメリカの心理学者マズローが提唱している「マズローの欲求5段階説」というものがあります。

マズローの欲求5段階説とは、人は成長したいという欲求を持っている事を前提として、人の欲求を5つの段階に分けて考えたものです。

・欲求は必ずしも下から順番に推移していくものではありません。
・マズローはこの図で「自己実現している人」と「自己実現していない人」の2つのタイプに分けています。

  • 生理的欲求:食事・睡眠・排泄・性的欲求などの基本的な欲求
  • 安全の欲求:危険や恐怖を避け、安全・安心に暮らしたいという欲求
  • 所属と愛の欲求:家族、友人、地域、会社や学校等、人と繋がりを求め、団体へ属したい欲求
  • 承認の欲求:尊敬や高い評価を得たい欲求
  • 自己実現の欲求:自分自身の為の成長や自分らしさを目指す欲求

承認欲求は下から4番目にあるもので、

他者承認欲求:他人から認められたい欲求
自己承認欲求:自分で自分を認めたい欲求

の、2種類に分かれます。

承認欲求はなくさなくてもよい

承認欲求は、多かれ少なかれ誰もが持っているものです。

自分で自分を認めるためには、まず、人から認められ満たされている必要があります。

幼少期に親や周囲の人から認められ、自己肯定感が育まれていれば承認欲求の強さに苦しむ事はないかもしれません。

そういう幼少期でなかったのなら、仕方ないかと諦めて、何らかの形で承認欲求を満たしていくのは必要な過程にさえなります。

普通に考えても、人に認められれば嬉しいし、理解してもらえれば心が楽になります。必要と求められればやる気も生まれます。

ですが実際には、承認欲求が満たされなくて心が苦しかったり、周囲に煙たがれる場合もあります。

問題となる承認欲求とは

強すぎる承認欲求

SNSで「いいね」の数を気にし過ぎる、不安で仕方がないといった状態もこれにあたります。

強すぎることで起こる問題として、承認されるために自己犠牲をしてしまうことです。SNSで映える写真を撮るために、生活がそれ中心になってしまうことがあるそうです。

人に承認されたいと思って、嫌なことを我慢する、断らない、無理する、などで疲れ果ててしまう場合も多くあります。

強すぎる承認欲求の解決策

何が満たされていないからこのような状態になっているのか、その原因を知ることです。承認欲求に見えて「所属と愛の欲求」の場合もあり得ます。

承認されている状態でいなければいけない、という思い込みが原因の場合もあります。

例えば幼少期に「皆に慕(した)われたり、褒められていないあなたはダメだ」という条件付きの愛を与えられたとします。

それで、常に皆に認められていないと不安な気持ちになっているのならば、それは皆に認められたいという承認欲求とは少し違います。

親(もしくは心の中で作り出した愛情深い親)に認められたいから起こっている欲求になります。

何にせよ、人の評価が依存だったり不安の元になり、心に大きな問題を起こすのは苦しい状態です。

承認欲求と自覚しないもの

人に喜んで欲しいという気持ちが、人から承認して欲しいというものからの時があります。

ですが、それが承認欲求だと認められない場合があります。

例えば、仕事で誰がやってもいいような雑用をしたとします。つまりあなたがやってもやらなくてもいい雑用です。

備品を整理したりかもしれませんし、ポットにお湯を入れることかもしれません。

それについて

「いつもありがとう」とか
「気が利くね」

などと評価されればいい気分になります。

全く評価されなかったり、やって当然と言う態度を取られると不満が生じます。欠乏した欲求が満たされないのだから当然です。

承認欲求と自覚していれば、評価してくれる事を求めるなり、評価してくれないならやめるいう選択肢が持てます。

自覚していないと歪んだ形で不満が出てきます。

「お礼を言わないとか、人としてどうかと思う」
「こんな事ではこの会社の未来も知れている」

などと、相手が悪く、自分が被害者のように思い込んでしまう事もあります。

だからと言って、「別にしなくてもいいのに」と言われると、物凄く腹立たしかったり、悲しくになるはずです。

「褒めて欲しい」「認めて欲しい」

と思いながら、人の役に立つようなことをするのは、別に悪くはありません。

ただ、それに対し自覚がなければ、善意の押し付けになるかもしれません。

その人のために、と思ってやった事でも、相手はそれを望んでいない場合もあります。

それを知った時に、「承認欲求」という自覚があれば、別の方法で喜んでもらおうと考えます。もしくは、その人に対してそれをしないという選択もあります。

自覚がなければ、ただの怒りや悲しみになります。相手の望んでいない事を怒りながらやり続けるか、今までやってきた必要なことまでもしなくなります。

感謝しない相手が悪い、という理屈からです。

承認欲求と自覚すれば楽になる

褒めて欲しい、認めてほしいという事は、別に悪い事ではありません。

そのことを踏まえた上で、承認欲求に基づいて行動している部分を認めることです。

上の記事で、煩悩について書きました。

煩悩は生きる苦しみにつながります。

ですが、煩悩を煩悩と認識できれば、苦しみの多くが無効化できます。

承認欲求も同じです。

心の全てを把握する必要はありませんが、苦しみの原因になるものは、認めたほうが良いと思います。

まとめ

認識しない、自覚しない、もっと言えば、抑圧しているから、苦しみに変ります。

承認欲求は誰もが持ちえる欲求です。

心に別の問題があるために、強くなることもあります。

承認欲求と認識できないために、正義を振りかざすこともあります。

そのような歪んだ形で持ってしまうと、本人も苦しく、つらい思いをします。自然な形で承認欲求を持って、それと付き合っていくならば、持っていて問題はありません。

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