「苦手科目の対策をするよりも、得意科目を伸ばせ」とは受験対策でもよく言われていることです。限られた期間で総合的に点数を伸ばすのに、苦手科目の克服は非効率だからだそうです。
「欠点を克服しろ」「何でも出来るようになるべきだ」という人は多くいます。
「あなたのためを思って」を強調しつつ言ってきますが、本当にそうでしょうか?
それを真に受けて実行すればどのようなデメリットがあるでしょうか?
今回の記事では、欠点を克服しようとするデメリットについて書いていきます。
欠点を克服したいと思う理由
人からのアドバイス
子どもの頃に家庭や学校で、
「色々なことが出来るようになりましょう」
「苦手な事は1つ1つ取り組んで克服していきましょう」
と教えられたことがあると思います。
子どもの頃は、何に適性があるかを知る時期なので必要なことです。
受験する年齢にもなれば、自分の得意科目で受験校を選択していきます。ここからは得意を伸ばすような指導も入ってきます。
社会人になると上司や先輩に
「何でも出来るようになるべきだ」
「足りない物を埋めろ」
と言われる時があります。
それによって、幼少のころの教えを思い出し欠点を克服しなければいけないと感じます。
悪いことのように言われ、罪悪感によって克服しようと思う場合もあります。
超自我によるもの
人間の心は3つの構造に分かれます。
- エス:本能や欲求など、自由気ままにしたいと望む部分
- 自我(エゴ):エスと超自我を調整する部分。自己である強い認識
- 超自我:道徳的で正しい理想を追い求める部分
この3つの内、心に制限をかけているのは超自我です。
超自我は、自分が受けていた教育や、見たり聞いた中での自分の理想像などから作られます。
多くの人は、何か問題が起きると、超自我の制限を増やすことで解決しようとします。何か問題が起きるのは自分の欠点のせいなので、がんばって克服すれば解決するという発想です。
欠乏欲求によるもの
上の図は、マズローの欲求5段階説です。「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」という仮定に基づき、人間の欲求を5段階層で理論化したものです。
この5つの欲求を簡単に説明すると以下のようになります。
- 生理的欲求:食事・睡眠・排泄・性的欲求などの基本的な欲求
- 安全の欲求:危険や恐怖を避け、安全・安心に暮らしたいという欲求
- 所属と愛の欲求:家族、友人、地域、会社や学校等、人と繋がりを求め、団体へ属したい欲求
- 承認の欲求:尊敬や高い評価を得たい欲求(↑ここまでが欠乏欲求↑)
- 自己実現の欲求:自分自身の為の成長や自分らしさを目指す欲求(成長欲求)
マズローの欲求5段階説で、欠点を克服したい理由が分かります。
- みんなに受け入れられたいから欠点を克服する(所属と愛の欲求)
- 人に認められたいから欠点を克服する(他者承認欲求)
- 納得できる自分でありたいから欠点を克服する(自己承認欲求)
多くはこの3つに分かれます。3つとも欠乏欲求です。
欠乏欲求は飢えなので、求める力も非常に強くなります。
成長欲求である自己実現欲求では、欠点の克服についてあまり考えません。
欠点を克服しない方がいい理由
人に利用されやすくなるから
欠点を克服しようとしている中に「自分はダメだから」という気持ちがあるかもしれません。そのような心の状態では、エナジーバンパイアに狙われやすくなります。
完璧を求める人は、あなたをコントロールしようとしているかもしれません。
欠点を指摘し罪悪感を植え付け、便利な道具として利用しようとしているかもしれません。
人を適材適所に配置する能力がないので、便利なオールマイティーを求めている場合もあります。そして、オールマイティーでない人を悪く評価します。
人を見ることが出来ない人は、自分を見ることが出来ません。
人の長所を認められない人は自分の長所も認められません。なので心が不安定です。
「自分は完璧に出来る」と豪語する中には、自信がなく、人に注意して自意識を保つ人がいます。出来る人はそれが当たり前なので、わざわざ言いません。
人のアドバイスで欠点を克服しようとする場合は、相手の目的を考えてください。
効率が悪いから
ダメな部分を無くして優等生になりたい気持ちは、欠乏欲求によるものです。
例えば
- ワンピースのルフィが海図を読む勉強をする
- ドラゴンボールの孫悟空が就職活動をする
- 太閤立志伝Ⅴの前田慶次が政務の修行をし続ける
といったあたりを想像してみてください。
時間が無駄な上に本人の魅力もなくなります。(ゲームでの前田慶次は辻斬りすれば魅力が下がりますが…)
いくらでも磨いたり鍛えるものがあるのに、おざなりになります。
オールマイティに多くを出来ることを否定していません。
逆にそのような人が欠点を克服しようとすれば、
「何でも適度に出来るのではなく、何か1つを究めるべきだ」
となります。オールマイティを器用貧乏と評価し、それを欠点と考えるからです。
このように欠点は作ればいくらでも出てきます。せっかくの良さを消すことになります。
欠点を克服しようとして苦しくなる例
欠乏欲求に従った例
何か苦手な物がものがあったとします。
それを水泳とします。
幼少時は、洗面器の水に顔を浸けることさえも怖い状態でした。
小学校でのプールの授業が始まる前にせめて潜れるようになりたいと、スイミングスクールに行きました。そのスクールが合っていたのか、すぐに25mをクロールで泳げるようになりました。
出来ないことが出来て嬉しい上に、親も大喜びしてくれました。
その後水泳にのめり込み、ちょっとした大会で結果を残すようになりました。自分ほど水泳が得意な人はそうはいないだろうとさえ思い、それを自分の長所と思っていました。
ですが世の中には「本物」がいます。その「本物」に出会えば心は揺らぎます。
元々泳ぐのが得意で大好きで、幼少時からスイミングスクールで特訓をし、国を代表する選手になるような訓練をしている人と出会ってしまうこともあります。
その時に、自分の価値を脅かすその人を憎いと思います。消えて欲しい、潰れてしまえとさえ思います。
何故このようなことになったのか
水泳が苦手だという欠乏欲求により、必死に克服しました。
必死に努力する人には中々出会えないので、得意でなくてもある程度秀でてしまいました。
ですが、得意を必死に伸ばした人には、かないませんでした。
克服した欠点を自分の存在価値にしたので苦しみになりました。
水泳が好きだからとか、趣味としても楽しんでいたのならこのようにはなりません。自分より凄い人を見ればワクワクします。目標が出来たと嬉しくなります。
人は欠乏欲求が満たされた時、そこに価値を見出しがちです。
この人がもし短距離走が得意だったのなら、そちらを必死に伸ばせば「本物」になれたかもしれません。そこまでいかなくても、好きで楽しんで続けられます。
活かすべき長所を欠点と勘違いする
自分が人に慕われないのは、中心に立って引っ張れないからだと思ったとします。
リーダーシップが発揮できないのを欠点として考えています。
その人が、送信型(エルゴン)ではなく、受信型(エンパス)だった場合はどうでしょうか?
その人の良さは、エネルギーを送信して引っ張ることではなく、人のエネルギーを読んで全体を調整することかもしれません。
欠点と受け取っているものが、その人の最大の強みになります。
欠点として気になっている部分は強い個性です。人との違いを感じているから気になります。実際に違いを指摘されたかもしれません。
個性に良し悪しはありません。どう活かせば良いかを工夫し考えれば長所に変わります。
自分の欠点と感じるものを否定せず、目を背けずに受け止めることで可能になります。欠点が転じて長所になったものは自分だけのものです。この長所を武器に勝負に出られます。
例えば、「記憶力が良い」「気が利く」といった一般的な長所を自覚する人は多くいます。平凡な長所のためその人の存在価値にはなりません。
自信を持ちたいなら、自分の欠点を受け止め、長所として活用することをお勧めします。
まとめ
- 欠点を克服するよりも長所を伸ばした方が効率がよい
- 欠点を克服したいと思う理由
- 人に言われたから
- 立派な自分になりたいから(超自我)
- 認められたいから(承認欲求などの欠乏欲求)
- 自分はダメだという気持ちがエナジーバンパイアに狙われやすい
- 欠乏欲求を満たすとそれに依存しやすい
- 個性を欠点と思い消そうとすることがある