タイトルの日本語がおかしいことにお気づきの方は、冷静な判断力をお持ちです。
完璧は「100%完全」なことであって、「もっと」「すこし」「かなり」という形容詞はつきません。
それをあえて崩すことで、いわゆる完璧主義から離れるという考え方が、今回の記事です。
といっても、意外と日常的に使います。より完璧に、さらに完璧に、などです。
例えば50:50の対等な関係は50:50以外の何物でもありません。「かなり対等な関係」って、対等ではありませんよね。
実は完璧主義を追い詰めかねない、この「もっと完璧」という言葉をあえて使って、完璧主義の苦しみから抜ける方法を書いていきます。
完璧主義とは何か?
完璧主義とは、ものごとを完璧にやりとげる人のことではありません。
完成させる能力とは無関係に、完璧ではないのが嫌・許せないという性格を指します。
完璧でないのが許せない→完璧にやりとげる、ということではないの?と思われるかもしれません。
完璧にやることもあります。
完璧に出来ないこともあります。
そして完璧でなければやる意味を感じないので、最低限必要なことさえやらなくなります。
極端に書けば
完璧に出来ている時は、些細な失敗も許されないと気を張りつめ、
出来ていない時は、気力もなく動けず、自分自身に絶望しているような状態です。
多くの人は完璧主義でも、このような傾向がある程度で済んでいますが、それでも心が穏やかに落ち着く暇はありません。
そして残念ながら、完璧主義は基本的に治りません。
なので、完璧主義のデメリットをなくし、メリットを活かしていくという方法で、いわゆる完璧主義から離れる、という方法を使います。
完璧主義の原因は何か?
根本的な原因は、自我領域の狭さです。
人の心は、エス・自我・超自我の3つに分けられます。この中の自我の領域が狭いと、考え方が極端になりがちです。
- エス:本能的な欲求(いわゆる黒い心)
- 自我:本能と理性の調整役(グレーゾーン)
- 超自我:理性や道徳など(いわゆる白い心)
エスが黒い部分、超自我が白い部分で、それぞれが純粋であり完璧です。
完璧で純粋だと不便で生きづらいので、自我というグレーゾーンに頼ります。ほどほどの所でバランスを取り、適度に上手くやっていきます。
その自我が少なければ、グレーの調整部分がないので、必然的に「完璧主義」になります。
幼少のころの環境で、自我が育たない場合があります。
親が精神的に未熟過ぎたり、存在を認めてもらえなかったなどです。
完璧主義の2つのパターン
1.完璧ではない自分が許せない
完璧にできない自分が駄目なんだという考え方です。
なので、死に者ぐるいで頑張りますが、あきらめたり、無理しすぎて疲れ果ててしまえば、逆に何もしなくなります。何をやっても無駄と思うからです。完璧に出来ないのなら、やる意味がないと感じます。
2.完璧ではない状態が許せない
ものごとが中途半端な状態そのものが嫌いです。
自分が駄目だとかそういうのではなく、やるからにはトコトンやりたい、追及しないと気が済まないといった趣味嗜好です。
いつも、何もかもを徹底的にやるのは難しいものです。
時間や体力、金銭的なことである程度はあきらめなければならないこともあります。
なのにこだわりから離れられず、疲れることが多くなります。
完璧主義を治す方法
- 完璧ではない自分が許せない
- 完璧ではない状態が許せない
の、どちらかによって対策は違います。ですが完璧主義の人は、基本的に両方を持っています。
自我領域が狭いから、完璧ではない状態が嫌いです。そして自我領域が少ない人の多くは、完璧ではない状態を親に認めてもらっていません。なので完璧ではない自分を許せません。
なので方法として、
まず、「完璧ではない自分が許せない」状態に対処しつつ、「完璧ではない状態が許せない」について取り組んでいく、というものがあります。
別の方法として
「完璧ではない状態が許せない」状態に対処しつつ、「完璧ではない自分が許せない」について取り組んでいくというものです。
どちらがよいのか、ですが、
完璧主義のために行動が出来ない、無意味に感じているというタイプなら
自分を許す→状態が許せるようにします。
完璧主義のために行動や努力をしすぎて疲れる、でも行動を止められないというタイプなら
荒療治ですが、状態を許す→自分を許すという方法が向いています。
自分を許す→状態が許せる
自分にやさしくする、励ます、褒める、許可を出す、ということから始めます。
テストで平均点が取れなかったとしても、完璧主義の100か0を守っていたら0点だったかもしれないのだから、よく頑張ったと褒めます。
100点を目指す減点式ではなく、0点の危機から逃れたといった加点式で考えていきます。
自分を許せるようになれば、自分の行動や結果を許せるようになります。
100か0の考えならば、結果は0だったのかもしれません。
100ではなくても、何かを行動すれば、0ではありませんよね。
それは凄いことなんだと気づくことから始めてください。
状態を許す→自分を許す
これが「完璧主義をやめるにはもっと完璧になれ」の方法です。
完璧について考え方を変えます。あくまでも考え方の解説なので、単純化して書きます。
100点を目指すのは完璧ではない
5教科について、テストまでの勉強時間が50時間とれたとします。
ある科目を100点に近いくらいにしようとすれば、25時間かかるとします。80点なら10時間です。
勉強しないなら50点です。
100点をとにかく多く取ろうとすれば、25時間×2教科=50時間です。のこり3教科は50点です。
350/500点になります。
多くの科目をほどほどに高得点にしようと思えば、10時間×5教科=50時間です。全て80点です。
400/500点になります。
後者の400/500点のほうが、前者にくらべ、もっと完璧です。
完璧主義で悩み行き詰る時は、前者の「100点をとにかく多く取り」たいために、完璧度を落としています。
もしくは、50時間以上勉強して、気力を削いで必要以上に疲れます。1度や2度なアリですが、何度も繰り返せば人生に疲れていきます。
完璧でない状態を嘆くのは、完璧ではばい
何か仕事でミスをしたとします。
完璧主義ならば落ち込みます。ただショックで固まってしまったり、辞めたくなる場合もあります。
ですが、ミスをしてロクな対策も出来ず落ち込んだり、辞めるのは完璧ではありません。
自分が出来うる限り挽回をする、後処理をする、対策を打つ、必要な時には周囲の力を借りるといった行動をとるほうが、ずっとずっと完璧です。
完璧なことそのものが完璧ではない
言葉遊びのようですが、これにあてはまることがよくあります。
いわゆる「遊びが必要」というものです。
工学で、接合部などに設けられた「遊び」という隙間や緩みを必要とします。きっかり作ると熱で素材が膨張して不具合がでます。
車のハンドルも、がっちりしっかり握るより「遊び」を持たせた方が安全に運転が出来ます・
遊びとも言いますし、余裕とも言えます。
旅行の計画を立てる時も、不慮のトラブルを考えてスケジュールに余裕を持たせたほうが上手くいきます。
きっかりかっきりな完璧ではなく、余裕があったほうがもっと完璧だということです。
他にも、無駄なプライドを持つのは完璧ではない、頑張り過ぎは完璧ではない、といった考え方もあります。
何故自分を許せるようになるのか
完璧ではなくて、楽で効率的なのに、以前よりもっと完璧になれたから、自分に自信がついた結果、許せます。
完璧になったから自分を許せたのなら、完璧主義は治っていないのではと思われるかもしれません。
もう一つの理由は、「完璧ではない自分を許せない」のは、完璧ではないからです。自分を責めることに無駄なエネルギーを使うなら、もっと完璧を目指します。
はっきり書けば、完璧主義を治すのは困難です。
人の気質・性格・人格の中で、気質は持って生まれたものなので変えられません。
性格は、狭義の性格、社会的性格、役割性格に分かれます。
この中で 狭義の性格は、変えるのはかなり難しいといわれています。三つ子の魂100までのものだからです。
そして、完璧主義な性格は 狭義の性格の部分です。
役割性格としての完璧主義ならば、あくまでも完璧っぽく装っているだけなので、その場から離れればなくなります。
楽で効果的に完璧になれる方法を見つけて実践し、そんな自分が好きだと思えているのなら、完璧主義でも問題はありませんよね?
完璧主義独自の、もっともっと上を目指したい性格が活かされて、波乱万丈ではあっても充実した人生が歩めます。
そして周囲の人に、「○○さんて完璧主義だよね。何でもしっかりこなせるし」と言われ
「そう? 全然完璧主義じゃないよ。結構いい加減で適当だし」
と、自信を持って言えれば、いわゆる完璧主義からの離脱はほぼ完璧に出来ています。
まとめ
私が「もっと完璧になる方法」として使っているのが、「目標の90%達成あたりが完璧」だという考え方です。
たとえば、今月は10冊本を読むという目標を立てれば、そのうち2冊を漫画にするなどです。
今ならば、200記事までは暦通りにブログの更新をする、ですが、週に1記事は過去のペットブログのリライトです。
100%達成するのは良くないと、ジンクスのように尊重しています。