こんにちは。くまの(Kumano@Rpgmg)です。
お金の節約は悪いことではありません。
ですが、節制や節約と払うべきものを払わないは違います。
必要な場所で必要なお金を払わなければ、その時は得をしたように見えても損だという例は多くあります。
徳とカルマの法則で見ても、お金がカルマを清算する例はよくあります。お金を払わないかわりに相手のカルマを引き受けることは実際よくあります。
今回の記事では、対価を支払わなければ運が悪くなるという話を書いています。
徳とカルマの法則とは?
徳とは何か?
徳とは良いエネルギーのことです。良いことをすると貯まります。貯めた徳と交換で良いことがおこります。エネルギーは同質のものを呼ぶので徳が貯まれば心も良い状態になります。
徳が貯まれば良いことが起こりやすくなり、運も良くなります。
カルマとは何か?
カルマとは悪いエネルギーのことです。悪いことをすると溜まります。悪いことが起これば消費されます。カルマも同質のエネルギーを呼ぶので、環境も悪くなります。
カルマが溜まれば悪いことが現実化しやすくなり、運も悪くなります。
サービスに対価を払わなければ?
物質に対してのお金は支払っても、労働や手間、サービスなど形がないものへの支払いを渋るはなしは良くあります。
音楽など、CD(もしくはダウンロード購入)で対価を払うようになっているのに、無料で済ます話も聞きます。
サービスの金額を安く値切る、購入するべきものをただで手に入れれば得をしたと思うかもしれません。
ですが、徳とカルマの法則で見れば話は変わります。
お金を払わず良い思いをすれば、大きく徳を消費します。本来ならもっと別のところで良いことが起きるはずだったものを、お金をケチったことでそこで消費されます。
また、サービス等にに対価を払わなかった場合、そのことに関するカルマは支払わなかった方へ、徳はサービスをした方に向かいます。
受けたサービスで悪い結果になった場合、お金を支払っていれば、悪いことをおこしたカルマはサービスを提供した側のもにになります。
対価を支払わなければ、悪いサービスを受けたとしても自業自得になります。
悩みを聞いてもらう
友達同士で相談をするのはよくあることです。
悩みを聞いてもらうそのものが問題なのではありません。一旦吐かせてもらって心の整理をし、良い方向に進むこともあります。
ですが、相手が嫌がっているのに愚痴を言い続けるなどの場合、カルマになります。ただ嫌な気持ちを吐き出して、またストレスが溜まれば吐き出しての繰り返しでは聞くのも嫌になるかもしれません。
お金を払えば悩みを聞いてくれる場所があります。
「愚痴聞き」という看板を出しているセッションもあります。
愚痴吐きをカルマにしたくなければ、お互い様の関係が成り立つ相手か、対価を払うサービスを利用するという方法があります。
サービスを受ける
例えば腰が痛いとマッサージを受けて、代金を払わなかったとします。
腰が痛くなくなり、楽になった場合:
マッサージをされた人:「良いこと」が発生したので徳を消費します。しかもお金を払わず良い思いをしたので、大きく徳を失います。
マッサージをした人:良いことをしたので徳が貯まります。しかも無償だったので大きく徳を貯めます。
マッサージが合わず、逆に腰を悪くした場合:
マッサージをされた人:悪いことが発生したのでカルマの消費になりますが、対価を払っていないのであまり消費できません。
マッサージをした人:お金をもらっていないので、悪い結果になってもカルマにはなりません。
教えてもらう
何かを教えてもらい習得するのためには、大きく徳を使います。自分の将来に役立つことならなおさらです。その技術を元に生計を立てるなどです。
教えてもらう対価を値切った場合、初期投資が節約できるかもしれませんが、徳を大きくなくした分後が大変です。
お客さんとのご縁なども大きく徳が関わるからです。
自分が独立したら自分もただで教えるとか、事業で徳を積みまくって大元に還元しても困らないようにするとか、それぐらいのことが必要です。
(怪しい情報に高いお金を出せという意味ではありません)
神社仏閣での願掛け
神社仏閣は、お願いをしにいくのではなく、挨拶、感謝、決意を聞いていただく場所です。感謝などの良い気を送り、神仏の良い気をいただいて、運気を良くして自分の願いに近づいていけるようにします。
神仏へのお願いを、お賽銭程度の金額で叶えてもらおうと思うなという意見もあります。
叶えていただくために納めるなら、やはり相当のものとも聞いています。
それでも、お金で納めた方が対価としては相当楽なのだそうです。
ある商売を始めて成功したいと正式にお願いをした時に、
「一生懸命働きます」
「世の中の役に立つよう頑張ります」
「心をこめてやり抜きます」
という決意をしたとします。
人は調子の良い時もあれば悪い時もあります。その時々で事情も変わります。そんな中一生全力で取り組むことを「対価」にしてしまえば、対価の支払いをやめれば取り上げられます。
下に書く笑うセールスマンも似た例です。
一生を対価にするくらいなら、高額でもお金で支払った方が楽だししっぺ返しもきません。
笑うセールスマンの例
この世は老いも 若きも男も女も
心のさみしい人ばかり
そんな皆さんのココロのスキマをお埋め致します
いいえ、お金は一銭もいただきません
お客様が満足されたらそれが何よりの報酬でございます。
喪黒 福造(もぐろ ふくぞう)という、黒い服をきていつも笑っているセールスマンが、人の悩みを解決するというサービスを売る話です。
上の引用は、物語の始めにアナウンスされるセリフで、悩みを解決する手助けをするけれど金銭の要求はしません。
ただし、不思議な約束をされます。
例えば、お客が少なくて悩んでいるタクシー運転手に、「絶対に乗車拒否をしないこと」という約束をさせます。
ストーリーでは大抵その約束は破られます。近距離だけ乗車しそうな雰囲気の客を無視して、その先のいかにも長距離を乗ってくれそうな客の所に行くなどです。
約束を破れば「どーん!」という叫び声とともに指をさされ、不幸になります。
(中には約束を守って(ある意味)ハッピーエンドな話もあります。『愛妻写真』などです)
もし喪黒がそれなりのお金を請求していれば約束を守る依頼者は多かったはずです。お金を払った分約束約束にも価値を感じるという心理からです。
払った対価分の何かを得たいので、約束を破って失敗したくないと思います。
さらに「お客様が満足されたらそれが何よりの報酬でございます」の、満足と言う報酬すら客は支払っていません。
その2つも含めて闇が深いなぁと思う作品です。
まとめ
「お金を支払わなければカルマを背負う」という考えが染みついてしまっているのでスーパーなどで会計を安く間違われた場合、大慌てで訂正します。
会計が安く間違っているから差額を支払わせてくれとレシート持参で問い合わせる私は変わった客と思われているでしょうね。