神が先か人が先か ー 神話と大いなる存在の入れ子

見えない世界の法則
スポンサーリンク

卵が先か鶏が先か、という因果性のジレンマがあります。

卵なしで鶏は生まれません。ですが鶏なしでも卵は生まれません。

神が先か人が先かという問題もときおり議論されるようです。

神が人を創ったという説(=神が先)もあれば、人が神を生み出した(=人が先)という考え方もあります。

今回の記事では、神仏大好きな私がいくつかの説をあつめてみました。

神が人を創ったか、人が神を創ったかに対する考え方4つ

  • 神が人を創った
  • 人が神を創った
  • どちらでもない
  • どちらでもいい

神が人を創ったという考え方

「神学」では、神が世界を創り、人を創り、動物をも創っています。

この考えでいくと、神は全知全能であり完璧で、救いや罰を一方的に与える存在になります。

このような考えは、各地にある神話で描かれていて、ある意味おとぎ話のような感じに受け取られています。

ですが実際に人を創っていないにしても、「創れるくらいに大きな力と知恵を持っているんだよ」という考え方の人は多いと感じています。

この考え方にはメリットもあります。

偉大なる神が見ているのだから、道徳を守ろう、正しい生き方をしようと思えます。

聖書や仏典などは基本的に人として健全な生き方の指標にできます。神に受け入れられるためにも自分を律しようとすれば、それらの本は有益です。

デメリットとしては、神や宗教への極端な依存です。

神は正しく万能であるべきだと、責任をも神に押し付けます。

物事が上手く行かないのは神のせいだと、体のいい責任転嫁先にする人もいます。

この依存状態は、ロバートキーガンの発達理論で言えば、発達段階3:他者依存段階 です。

もう少し発達段階が進まなければ、神の存在や、伝えたいことは理解できないかもしれません。

人が神を創ったという考え方

人に信仰されなければ、忘れられてしまえば「神は死ぬ」というのも、この考え方です。

存在の大いなる入れ子 (The Great Nest of Being)

進化論的な考えでもあります。

物質(A)の中に生命(B)が生まれ
生命(B)の中に心(C)が生まれ
心(C)の中に魂(D)が生まれ
魂(D)の中にスピリット(E)が生まれました。

この図では、魂の段階で神が生まれています。

最初はアメーバーみたいなのが、どんどん進化していって心を宿し、さらに魂を持ちます。

集合的無意識での「神」の考え方を書きます。

心は意識と無意識に分かれます。

無意識はさらに、個人的無意識と集合的無意識の2つに分けられます。

個人の無意識のさらに奥に「集合的無意識」があります。

集合的無意識は「普遍的無意識」とも呼ばれています。生まれる以前から人類に共通し備わっているものという意味合いが強く、心というより魂に近い位置づけです。

集合的無意識とは、心理学者のユングが提唱している概念です。個人の無意識の奥では皆が繋がっていて、その集団屋状態に属している時に共有される無意識を指します。

そこまで到達出来るようになると、家族や地域、会社、国、地球、宇宙の無意識とも繋がれます。ここに正しく到達出来ると神と繋がった状態になります。

人の無意識・集合的無意識は、顕在意識よりも賢明で全てを知っているとさえ言われています。

人の無意識や正しい集合的無意識が、神のような存在になり、正しい道や方法未来についてを教るという方法で情報を意識に伝えてきても不思議ではありません。

人が認知したものが、神として成り立つのもこの影響です。

例えば、ドラゴンボールに登場するシェンロンも、神として存在し活動しています。

波長のあう人の後ろに付き加護する時もあります。

もしスーパーシェンロンが後ろに付いてくれたら、徳の高いお願いをしなければ、全ちゃん的な存在に消されるかもしれません。

(※注 後ろで加護をしているといっても、一体の神が1人の専属ではありません)

「先」「始まり」という概念はないという考え方

循環時間論ー時間は循環し、歴史は繰り返されるという考え方です。

フリードリヒ・ニーチェの思想で永劫回帰というものがあります。簡単に言えば、「無限ループ」「延々と繰り返す」といった感じでしょうか。

無限に繰り返されるならば、「最初」は存在せず、創造もないという事になります。

どっちでもいいという考え方

アメリカの物理学者デヴィッド・ボームは、見える世界を「明在系」見えない世界を「暗在系」と名付けました。

「明在系」と「暗在系」の両者は密接にかかわり合いながら、つねに移り変わり変化しているという事だそうです。

つまり、見える世界と見えない世界に分かれて、相互に助け合う「しくみ」になっています。

(…気付いた方もおられるでしょうが、私は大槻ケンヂさんのファンです)

「暗在系」では、「明在系」のすべての物質、精神、時間、空間などが全体としてたたみ込まれており、分離不可能である。

「暗在系」は「素粒子の霧」のような状態にあり、純粋にエネルギーであり、しかもいたるところに均等に存在する。

見える世界(この世)と見えない世界(あの世)は、混ざり合っていて、お互いに影響を及ぼし合っているという事でもあります。

自己否定や事実否定のような欲に負ければ間違った集合的無意識につながります。そこで悪霊のようなものに捕まり、操られたかのようにもなり得ます。

正しく集合的無意識に繋がり、天の運行を良くするために協力しお互いが助け合うシステムとして機能させる事も出来ます。

まとめ

神が人を創ったか人が神を創ったかに対する考え方

  1. 神が人を創った
  2. 人が神を創った
  3. 時間は循環しているので、最初がない。
  4. 助け合いが大事なので、どっちでもいい

私は「神だから偉い」という考えは、神に対し「偉く在れ」と命令しているようなものかなと思っています。

ちなみに「卵か先か鶏が先か」には解答があります。

鶏の方が先 なのだそうです。

物理的に鳥がいなければ卵は出来ないからと聞きました。卵の殻のたんぱく質がそうなのだとか。

タイトルとURLをコピーしました