マッチ売りの少女は何故貧乏なのか?【お金の心理学】

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こんにちは。くまの(Kumano@Rpgmg)です。

「マッチ売りの少女」という、有名なアンデルセン童話があります。

可哀そうな主人公にはハッピーエンドが用意されるものも多い中、ただ凍えて亡くなってしまうという悲惨な物語です。

今回の記事は、この物語を「貧乏」というお金の観点と心理学から見て書いていきます。

記事の内容
  1. マッチ売りの少女あらすじ
  2. マッチ売りの少女が貧乏な心理学的理由
  3. お金の苦しい価値観と幸せな価値観

マッチ売りの少女のあらすじ

大晦日の晩、貧しい少女は雪の降る町のなかマッチを売り歩いていました。

「マッチはいりませんか?」「マッチはいりませんか?」

一日中歩いてもマッチは売れません。売れないまま家へ帰ればお父さんにしかられます。

あまりの寒さで凍えてしまった少女はマッチを一本とりだし擦ってみました。

「シュッ」と小さな火が灯り、手をかざすと暖かくストーブの前に座っているような気がしました。ですがすぐ消えてしまいます。 そして、二本目、三本目と擦る度に鶏の丸焼きや美味しそうなごちそう、クリスマスツリーが見えてきました。

何本も擦った時に少女を一番可愛がってくれた死んだおばあさんが現れました。おばあさんが消えてしまわないようにマッチを一束ぜんぶ擦ってしまいました。

すると、少女はおばあさんに抱きかかえられながら空高く天国へ舞い上がっていきました。そこはもうお腹を空かせることもなく、寒さに震えることもなく悲しいことは何一つないところでした。

大晦日の日、少女はマッチの燃えがらの束の中でこごえ死んでしまったのです。

新年の朝、こごえ死んだ少女の姿を見た人々は「かわいそうに、あまりに寒かったのでマッチを擦って暖まろうとしたんだね」とお祈りをささげました。しかし少女の見た素晴らしい幻のことを知っている人は誰もいませんでした。

少女が見ている幻覚はエンドルフィンという脳内麻薬物質によるものと思われます。

マッチ売りの少女は何故貧乏なのか?

何故マッチ売りの少女の親が貧乏なのか?

マッチ売りの少女が貧乏なのは、マッチ売りの少女の家-つまりマッチ売りの少女の親が貧乏だからです。

なぜマッチ売りの少女の親が貧乏なのか?ですが、働きもせず投資にも失敗しているからです。

投資はマッチです。

なけなしのお金でマッチを仕入れ、少女に売りにいかせます。

同じ投資でももっと割の良いものにすれば、ここまで貧乏ではなかったはずです。

マッチ売りの少女があのまま大人になったらどうなるか?

物語にありがちな、お金持ちに拾われた、マッチが飛ぶように売れたなどのミラクルはないものとしいています。

お金は役に立つことと交換に受け取るものです。商品の場合もあれば、サービスや空間の提供のこともあります。

お金を払う側が、自分に必要だと望み支払います。

マッチ売りの少女はどうでしょうか?

マッチは売れない=人には望まれない、役に立たないもののようです。

なので、可愛そうと思ってもらい、同情してもらうことでお金を得ようとしています。これはお金の健全な考え方ではありません。

少女が悪いのではなく、父親がお金を得るためにそう仕向けているからなのですが、それでも少女にとってのお金=憐れみと共に得るもの、という価値感が出来上がっているのは事実です。

可哀そうになればお金を貰える、つまりお金を貰うためには不幸でなければいけないという、ものすごく歪んだ信念です。

お金の価値観は親の影響を非常に強く受けます。

このまま少女が大人になっても、

シンデレラのように、可哀そうを耐えれば幸せが訪れると思い無意味に不幸で居続けようとするかもしれません。

可哀そうな自分をアピールし続けて施しをもらう生活を続けるのかもしれません。

毒親の負の連鎖のパターンもあります。

お金がないことに「飢え」を感じ、どうして自分ばかり苦労してまずしくなければいけないんだと、搾取する側に回ります。マッチ売りの少女の父親のようになるということです。

少女の父親が、お金は役に立った分貰うものという理解があれば、役に立たないマッチを売らせるような商売はさせません。

お金は同情でもらうものという価値感があるから、小さな子供を外に出し売り歩かせて「可哀そう」を演出します。

つまり、マッチ売りの少女の父親は、マッチ売りの少女の成れの果てともいえるわけです。

貧乏になりやすいお金の価値観

間違ったお金の価値観

  • お金は我慢料だ
  • お金は人に頭を下げるほどに手に入る
  • お金は苦労料だ
  • お金儲けは汚い

という価値感があります。

このような思考や価値観は現実化します。自己成就予言効果という心理作用があるからです。

お金は我慢料と思えば、「我慢してお金を得るか、我慢に耐えられなくてお金がもらえないか」になります。

お金は人に頭を下げるほどに手に入ると思えば、「お金はプライドと引き換え」になります。

お金は苦労料と思えば、「苦労をしなければお金は手に入らない」ものになります。

お金儲けは汚いと思えば、「貧乏で綺麗・金持ちで汚い、の2択」になります。

お金を手に入れずに心を守るか、心を捨ててお金を手に入れるかの2択なら、お金が手に入っても入らなくても幸せではない状態です。

お金を持っている人の悪口を言い憂さ晴らしをするか、お金を使い優越感を得るかで心のバランスを保ちつづけるしかありません。

幸せなお金の価値観

お金は人の役に立って受け取るもの、です。

人の役に立つのは良いことです。なのでお金を貰えばもらうほど人に役立つ良い人間になれます。

人の役に立つのは嬉しいことです。嬉しいことでお金がもらえるなら、お金は苦労料ではなくなりますよね。

人の役に立てば徳も貯まります。徳は見えない世界のお金のようなもので、願いが叶いやすく、運が良くなります。

上に書いたことは理想論だ、そう出来れば苦労しないと思う方もおられるでしょう。

そういう人は、少しづつ考え方を変えてください。

ます、「お金は役にたった料」この考え方を起点にしてください。

お金儲けは汚いと思う理由はなんでしょうか?

周囲の意見やTVの刷り込みではありませんか?その影響を受けて汚いお金儲けを見たからではないせしょうか?

お金は苦労料と思うのは、親に「苦労して稼いだお金」と繰り返して言われたからではないでしょうか?

お金は我慢料というのは、会社でパワハラ上司に言われたからではないでしょうか?

このように、お金が潤滑に入らないシステムのようなものが作られてると思って世の中を見てください。

その中で「お金は役にたった料」として少しずつでも動き始めると、幸せな価値観に近づいていきます。

まとめ

私が幸せなお金の価値観を身に付けるのに半年くらいかかりました。身に付いてからは、お金に対し苦しい思いはみるみる減っていきました。

お金は役に立った料という観点で世の中を見ていくとおかしなことが多いと気が付きます。おかしなことに関わらないようにしていけば、少しずつ正常になっていきます。

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