エンパスが楽になるには気付きを笑いに変換すると良いかもな話

エンパス・HSP
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エンパスは細かく情報を拾ってしまうので、気付きたくないことまで気付いてしまうことが多い傾向があります。

「気にしない」が苦手なので、その気付きについてとことん考えて悩み続けてしまいます。

自分が悩んでも何も解決しないと分かっていても、考えて悩み続けます。

その気付きを「笑い」に変換すると楽になるかもな話です。

気付きとは

き‐づ・く【気付く】

それまで気にとめていなかったところに注意が向いて、物事の存在や状態を知る。気がつく。

Weblio 辞書 

今回取り上げる「気付き」は、エンパスにとって良くないもの、苦しいものについてです。なので、本人にとって悪いことへ気付きについて書きます。

ものごとが順調に何の問題もなく進んでいる場合は、気付きはそんなにありません。

大抵の気付きの時は、不自然、間違っている、在るべき状態じゃない、など何かがあります。

簡単に言えば、違和感です。

とりあえず何か違うぞという違和感を覚えて、その理由を探して気が付くパターンは良くあります。

笑いとは

笑いは「あるべき現実との差異」で起きると言われています。

これは「気付き」と共通する部分です。

あるべき現実との差異のもので、こってこての例を出します。

「今日は給料日だからどーんと張り込んで……卵かけご飯!」

みたいな感じです。(お米や卵が高級品?という線はないという前提でお願いします)

給料日だからどーんと張り込んで→高価な御馳走が出てくるはずな現実

卵かけご飯→現実との差異

笑いにまったく免疫のない幼児なら笑ってくれるレベルのものですが、他の笑いも原理はコレです。

お笑いのネタを作る時は、現実との差異バランスが難しいそうです。

笑いを生むよりも差異が大きければ、なるほど!と感心されます。もっと大きければポカンとしてしまいますよね。

気付くことがつらい理由

あるべき現実との差異で発生する感情には、様々な種類があります。期待よりも上ならば喜びが生まれます。

ですが大抵は、期待よりも悪い方向に結果は向かいます。

○○してくれると思っていたのにしていなかった、○○が手に入ると思っていたのに無理だった、今日は○○の予定だったのにキャンセルになった、などです。

その差異は、怒りや悲しみに変換されます。

気付きは「○○を期待していたのにダメだった」といったはっきりしたものとは限りません。

どちらかといえば分かりにくく、説明してはじめて「言われてみれば!」ぐらいなものが多いはずです。

エンパスが「気付いて」しまうと、

「自分だけがこんなことを思っているのだろうか」
「チェックが細かすぎるのではないか」
「誰も何も反応しないという事は、自分の気のせいではないか」
「気にしすぎる自分が変なのではないか」

と、悩みます。

ただでさえ良くないことに気が付いて嫌な気持ちになっているのに、気付くこと自体を嫌と思ってしまうので、ドツボにはまります。

なぜエンパスが気付きを笑いに変えれば楽なのか?

エンパスは気付きが多い上に、気付きそのものについてさえ悩み発散もしません。なのでどんどん嫌なものが溜まっていきます。

エンパスが溜め込む質なのは、このような理由もあります。

先に書いた、給料日に卵かけご飯の話も、見方を変えれば悲しい話です。

何か御馳走を期待して帰ってきたら、想像とは全然違うものが出てきました。少なくともがっかりします。

それを、ネタにすれば笑いに変えられます。

怒りや悲しみを抱えるよりも、笑い飛ばせた方が絶対的に楽です。

思い出す時も、怒りや悲しみではなく笑いになります。笑いは強いエネルギーなので、怒りさえも昇華できます。

怒りや悲しみなら外に出したくないと思っても、笑いならば発散しやすくなります。

気付きを笑いに変える方法

お笑い芸人さんなどが、日常で起きたことを公共の場で話すときは、嫌な、悲惨な出来事を笑いに変換しています。(盛ったり整えたりしている部分はあるでしょうが)

これを応用していけば、日常の気付きを笑いに変換できます。

好きな、もしくは考えが近いなと思う芸人さんのトーク、出来ればラジオ番組を聞いていけば身に付いてきます。

私の場合は、北野誠さんをお手本にしました。

今は、「お前ら行くな」系の怖いネタや、事故物件住みます芸人を生んだ人として知られているのかもしれません。

もう四半世紀前の話ですが、誠さんは大阪でかなり有名なラジオ番組をやっていました。

単純に面白くて聞いていたのですが、聞いているうちに、やるせない怒りを笑いに変換して、強気に生きる術の基礎を学んでいました。

おそるべしサイキック青年団。

笑いに変換できるようになれば、今まで固く考えていたことも応用がきくようになったし、とにかく肩の力が抜けて楽になりました。

気付きを笑いに変えた「唯一の」デメリット

とてつもないゲラになったことです。

別に普段から笑いまくっているわけではありません。

ですがツボを突かれた場合、笑いが止まらずにかなり危険な状態になります。呼吸もおかしくなります。本気で苦しくて助けてほしいと悩むレベルです。

笑いのツボなんてどうしようもない所にあるので、何故そこでそこまで笑うのかという状態になりますよね。

私は時折瞑想をします。

ヴィパッサナー 瞑想という、「観察」する瞑想があります。

私はその「ヴィパッサナー」という言葉がツボに入ってしまいました。単純に言葉の響きが面白いという、何でもない理由です。

瞑想をするはずなのに、ヴィパッサナーと思うだけで笑いがこみ上げてくるので、それどころではありません。

これがおさまるのに半年かかりました。

まとめ

笑いに変換できれば楽になるけれど、出来ない時には無理をしないでくださいね。受け止め方には、このように色々あるのだと知っていただけでも、視野は広くなります。

そして、全てを笑いに変える必要はないと思っています。

変えたい部分だけ変える取捨選択です。

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