人間の魂はあらかじめ「人のために生きる」か「自分のために生きる」ものなのか決まっています。これは何度生まれ変わろうと変わりません。
転生を繰り返し、涅槃(ねはん)へたどり着くまで、魂の質そのものは同じだといわれています。
なので、自分の魂はどちらなのかを知り、効率よく課題をこなしていくのが楽な方法です。
この記事は、下の記事の補足として書いています。
やる気スイッチはどちらで入るのか?
人のために生きる魂
このタイプは、全体の2割くらいなので、理解されにくいかもしれません。
自分に自信がないから人に尽くそうとか、罪悪感から人の役に立とうとか、そういうものとは違います。
このタイプの魂は、自分のために何かをしようと思ってもやる気が出ません。最低限困らない程度にやれば、もういいか、という気分になります。
それが全く同じことでも、人のためになると分かった瞬間にシャキーン!とやる気がみなぎります。さっきまでの、適当でもういいか、というだらけぶりは何処に行った?という感じです。
周囲が思いやりの意味で、「人のことよりも自分を優先して」と言うと、このタイプの魂はどうしていいのか分からなくなります。
人のことばかりやりたいのは、依存の気持ちからなのか? それとも感謝されないと何も出来ないのか?と悩む人もいます。
人のために生きる魂は、自分が人の役にたつ時に初めて本気が出せる質のものです。
単純にそういうものと割り切って、自分のために何とかしようと思わないことが、結果自分のためになります。
(ただ、搾取するタイプの人にボロ雑巾にされる危険性だけは留意しないといけません、それは搾取した人のためにならないので、この魂の本懐ではないからです)
自分のために生きる魂
とにかく自分で何かを探求したい、黙々と目標にむかって進みたいと思うタイプです。
人のことを優先するべきだとか、まず人のことを考えようとか、そのような価値観に捕まってしまうとやっかいなことになります。
このような質の魂の場合、「人のため」を目的にすると調子が狂います。余分なことまで考慮しないといけなくなり、集中できません。自分が偽善者にでもなったような、居心地が悪い感じさえします。
自分勝手な人と思われるのは嫌だとか、まず人を思いやりなさいと言われて、周囲のために動いたところで、まず充実感がありません。
なのでやったことへの評価を求めてしまい、悪循環におちいることもあります。
自分のために生きる魂は、他のことは目もくれずに自分を高めることでゾーンに入る質のものです。そうして成しとげた結果、それが人のためになります。
アニメキャラで見てみる
有名なアニメキャラについて、どちらのタイプか書いていきます。見極めの参考にしてみてください。
鬼滅の刃
竈門 炭治郎(かまど たんじろう)
人のために生きる魂
鬼にされてしまった妹を助けるためにも鬼殺隊に入り、鬼と戦っていきます。炭治郎はやさしい性格で、刀を振って鬼を切ることはしたくないキャラです。
それでも、鬼を倒すために訓練を重ね、強くなっていきます。やりたくないことでも、人のためなら乗り越えていっています。
我妻 善逸(あがつま ぜんいつ)
人のために生きる魂
怖がりな上に自分は弱いと思い込んでいるので、戦いたくはありません。
それでも、誰かに期待をしてもらいたい、誰かを守りたい、役に立ちたいと強く願っています。強くなるという望みすら、教えてくれた「じいちゃん」のためです。
腰が抜けるくらい怖くても、気絶するまでは役に立ちたいと必死に自分をふるい立たせ続けていました。(そして気絶したら、急に強くなって役に立つキャラです)
嘴平 伊之助(はしびら いのすけ)
自分のために生きる魂
みなしごで、山育ちです。山の生き物との力比べが唯一の楽しみだ、という発言をしたり、鬼殺隊の存在を知るなり試験を受けたりと、とにかく戦いが好きなようです。
負けて負傷した時には、今までの勝気がどこにいったのかと思うくらいしょんぼりと「弱くてごめんね」と言ったりしていました。
戦いが好きで強くなる努力を重ねることで、結果人のためになっています。
冨岡 義勇(とみおか ぎゆう)
人のために生きる魂
同じ「人のため」でも炭治郎や善逸とはタイプが違います。先の2人は見るからに優しくて、助けてあげるオーラさえ出ていますが、義勇は冷たく突き放すタイプです。
炭治郎が義勇に、(鬼になった)妹の命乞いした時も「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」と一喝しています。「弱者には何の権利も選択肢もない」とも言っています。
その一方、その鬼にされた妹が人を襲ったなら「腹を切ってお詫び致します」という手紙を鬼殺隊の長に送っています。
これらは、どうすれば本当に人のためになるのか、考え抜いた末の行動に思えます。
いくら自分が強くても体は1つしかないわけで、救えるのには限界がある。なら救ってもらおうと期待させては良くないと、そういう結論からあの突き放したような言動になっているように思えます。
愈史郎も人のために生きる魂、というより珠世のために生きる魂です。
名探偵と大泥棒
江戸川 コナン(工藤新一)
自分のために生きる魂
探偵なので事件を解決したり、危ない目にあっている人を助けたり(間に合わないことも多いですが)と人のためになっています。
でも当人は、どうみても難事件に出会うのが嬉しかったり、ただ事件を解決するのを楽しんでいますよね。
ルパン三世
人のために生きる魂
泥棒なのですが、盗むことで問題が解決する場面がよくあります。特に映画では、その問題を解決することにやりがいを感じ、全力を出しているように思えます。
キャプテン翼
大空 翼
自分のために生きる魂
ただサッカーをやることが楽しくて、「ボールは友達」で「サッカーは俺の夢」なキャラです。
小学校の大会で優勝する目的も、本場ブラジルで思う存分サッカーをやりたかったからというものでした。サッカー技術を身に着けるのも強い敵と試合をするのも、自分が成長したり楽しむためです。
日向 小次郎
人のために生きる魂
小学校の大会で優勝する目的は、家が貧しいために、学費免除と生活費の支援がもらえる学校にサッカー特待生としてスカウトされるためでした。
なのでスカウトされる目的を達成した後は、これ以上家族のために頑張らなくて良いので闘志もなくなっています。そして小学校時代の監督に「今のお前は牙の抜けた虎だ!!」と言われています。
人のため/自分のための魂が逆の方向に動く時
魂のタイプとして、エンパス(受信型)・エルゴン(送信型)の2種があります。
- 人のために生きる受信型
- 人のために生きる送信型
- 自分のために生きる受信型
- 自分のために生きる送信型
の、4つの魂のタイプに分類できますね。
人のため・自分のために動くのが魂の声ならば、受信・送信のために動くのも魂に従った結果です。なので違った欲求が沸き上がっても驚かずに、冷静に見てください。
人のための魂でも自分のために動く時
1.人のために生きる受信型
何かを受け取ることで魂として完成するので、受信することを強く求めます。
どうしても受信したいものがあるときは、何もかも犠牲にしてでも受け取りに行きます。
特にその時にしか観れないものならなおさらです。例えば、どうしても観たいLIVEに行くのを止められようものなら、それこそ
「私を●してでも止める覚悟がないならどいて」(by御坂美琴)と、本気で言うぐらい強い気持ちを持ちます。
2.人のために生きる送信型
送信型は、発するものを受け取ってもらって魂として意味をなします。
どうしても伝えたいことがある、どうしても表現したい衝動があれば、そのために動きます。
止められようものならやはり「私を●してでも…」状態になります。
自分のための魂でも人のために動く時
3.自分のために生きる受信型
受信型は、人と自分の感情の区別がつかないことがあります。
なので、誰かの「助けてほしい」を受信した時には、自分の本心から「人を助けたい」のだと感じます。
その結果人のために動きます。
4.自分のために生きる送信型
送信して受け取ってもらいやすいのは、思いやりや親切などの良いエネルギーです。親切にするというエネルギーを送信すれば、「ありがとう」と受け取ってもらえます。
このような形で送信する習慣のある人は、自分のための魂でも、人のために動いて調子が良い状態を保とうとします。
まとめ
- 人のために生きる魂は、人の役に立つ時に本気になる
- 自分のために生きる魂は、自分に集中した時にゾーンに入る
- 人のための魂も、自分のための魂も、単純にそういう質なので優劣も良し悪しもない
- 受信型・送信型の魂の質が、違う行動を望むこともある
例えば、共用の場を片付ける時なら
- 綺麗にすれば自分が気持ちよく過ごせるし、雰囲気も良くなる(自分のため)
- 綺麗にすれば他の人が気持ちよく過ごせるし、喜んでもらえる(人のため)
と、やることは同じでも、目的を変えることでやる気をUPさせられます。