自信があるはずなのに何かイライラする、虚しい感じがする、ということはあるでしょうか。
それは、有能感からの自信ではなく、優越感だからかもしれません。
逆に、何かに自信があることについて、これは優越感では?と罪悪感を覚える場合もあります。
今回の記事では、似ているようで違う「優越感」と「有能感」について書いていきます。
優越感の意味とその危険性
優越感とは?
他の人との比較により、自分は優れている、自分には価値があるという認識です。
優越感の危険性
優越感は簡単に劣等感に変化します。
周囲との比較で、
優れている=優越感
劣っている=劣等感
と、自分の価値が変わります。とても不安定なものですよね。
なのでその「優越感」の部分で、人がより優れることに恐怖や不安を感じます。それだけで劣等感に変るからです。
人と比べることで価値を見出しているのなら、人の評価に依存します。自分が優れていると思いたいために、人の評価を下げたくなります。
有能感と優越感の違い
有能感とは
有能感とは、自己評価で、自分は優れているという認識です。
他の人が自分より劣っていようが優れていようが、それが評価の主体にはなりません。なので安定しています。
「自分の持っている能力は役に立つ」と自分で確信を持っていれば有能感は高まります。
自分の能力を自身で正しく認めることが必要です。
有能感と優越感の違い
有能感は自信です。
優越感は、気が付かなければ選民意識に繋がる危険があります。
選民意識とは、自分は選ばれた特別な人間で、他の人は劣っているので自分に従うべき、排除すべきという根拠のない思い込みです。
優越感を持ちそれに頼っている人は、一見自信がある様に見えます。
自慢話をしたり、マウンティングをする行動が強気に思えます。
その言動は、優越感に浸り続けたいためにしているので、実際は自信よりも不安の方を強く持っています。
言い換えると、自信がなく有能感を持てない人は、人と比べて優越感に浸ろうとします。そうしないと自分の価値が見えないからです。
そして、いつも自分の自慢話か人の悪口を言っているような状態になるかもしれません。
有能感を持っているなら、自分の評価は人に左右されません。
なので、自分を大きく見せる必要もなければ、人を下げることもしません。
優越感に振り回されない対策は?
なぜ優越感を持ってしまうのか?
優越感を持つことは、そんなに悪いことではありません。
人よりも優れた部分があれば嬉しいという気持ちを否定することもありません。データとして自分の能力を把握することも必要です。
もちろん、優越感よりも有能感を、自分の価値基準の中心にしている状態が理想です。
優越感を持つことは自然な感情です。
優越感で外部からの「優れている」評価を受け取り、それを有能感につなげていくのも、成長の過程です。
何が問題なのかというと
優越感を優越感と気が付かずに、これだけで自分の価値を決めてしまうことです。
人の評価だけで自分の価値を決めてしまうのはおすすめできません。
有能感を持てるかどうかは、幼少の頃の環境にも左右されます。
親などの保護者が、あなただから価値があるという「無条件の陽性ストローク」を与えてくれていたならば、有能感は育ちやすくなります。
学校の成績がいいときだけ褒める、他の子供と比較して評価する、といったような条件付きの愛情しか与えていなければ、自分の価値を見出すために優越感を持つようになります。
無条件の陽性ストロークとは
ストローク:人との交流でのやりとり
陽性:良いもの「愛情」「承認」「報酬」
無条件:条件なしに「ただあなただから」
つまり、「あなたがあなたであるから好き」という気持ちや愛情です。
優越感に振り回されないためには?
まず、無理のない程度にでも自分自身を認識する事です。
自分を正しく認識していれば、人とは違う自分の良さや、伸ばすべき部分にいつかは見えてきます。
自分が嫌い、自分はダメだという評価は、正しい自己認識ではありません。
嫌だと思える自分の内面でも、ちゃんと見つめてさえいれば、そのうちなんとなく認められるようになります。
すると、それが少しずつ長所として発揮されるようになり、好きにさえ思えるようになります。その部分を磨いたり伸ばしたりという努力をしていけば、それが有能感へと変わっていきます。
1つ例を出します。
中学生の時に成績が、クラスで1・2番、学年で10位くらいだったとします。
なので偏差値の高い高校に進学しました。
そこには、中学の時にクラスでトップに近い成績を取っていた人が集まっています。
結果、今までのように勉強をしていても、平均点を取る事さえ難しくなりました。
今までは、上位の成績だったので自信があったのに、自分って駄目だったんだと落ち込みます。これが人との比較に頼った
優越感 → 劣等感 への変化です。
高校に入っても、努力や成果が変わっていないなら、その人個人の能力は変わっていないはずです。周囲が変わったから、自分への評価が変わっただけです。
そのことを認識した上でどうするかです。そこで勉強を続けていく時に3つの選択肢があります。
- 今まで以上に努力をして、個人の能力を上げる
- 今まで通りの努力を続ける
- 成果が出にくいので今までより努力しなくなる
1.なら、中学の時ほどの優越感は感じられませんが、能力は上がっています。
2.は劣等感を持つかもしれませんが、能力は変わっていません。
3.は勉強に関しては能力も落ち劣等感も強くなります。
自分の能力そのものと、周囲との比較での能力を両方見て、どうするかを決めていくしかありません。
なんなら、「あの優秀な○○高校で落ちこぼれずにやっている」という広い目で見た優越感に助けてもらっても良いかもしれません。
狭い視野で、優れた劣ったと比較し続けることをやめれば、優越感に振り回されなくなります。
これは優越感かも?という不安について
「これは優越感かも?」
と、不安に感じるのことが多いのは「人助け」についてです。
困っている人を助けたいと思った時に
「これは優越感ではないか?自分は良い気分になりたいから助けるのでは?」と不安を感じる人がいます。
これについて、2つ言いたいことがあります、
1つ目は、「その通り、優越感からのもの(もしくは優越感を持ちたいから)」です。
人は、人の役に立った時に幸福感が増します。人を助けたことが心の救いになります。
「幸せを感じたいなら人に親切にしましょう」とさえ言われています。
優越感を持つことはそんなに悪いものではありません。優越感と気が付かずマウンティングなどの攻撃をするのが良くないだけです。
2つ目は「そう思う原因を考える必要がある」です。
困った人を助けたいだけでどうして罪悪感を覚るのか?
- 誰かに、「助けたからっていい気にならないで」と言われたのかもしれません。
- あることに優れているから「調子に乗るな」と咎められたのかもしれません。
- 助けたくないから理由を探しているのかもしれません。
- 優越感を強く持ちたいために、自虐風の自慢をしているのかもしれません。
不自然な気持ちを持っていても疲れるので、少し考えてみても良いと思います。
結論:助けなかった場合も想像してみて、助ける・助けないの好きな方を選べば良いと思います。
まとめ
- 優越感は人との比較での良い評価
- 有能感は自分が優れているという自己認識
- 優越感を優越感と理解していれば問題はない
- 優越感は自然な感情なので、やみくもに否定する必要はない
- 狭い範囲での優劣にこだわると優越感に振り回される
- これは優越感?と不安になった時は
- 優越感を持つことはそんなに悪くないと知る
- なぜそう思うのかを考える