煩悩を無くすほどに楽になると言われています。
仏教では瞑想で煩悩を見つめ、苦しみとの関係性を知り、悟りに近づいていくという考え方もあります。
今回の記事では、その煩悩について書いていきます。
煩悩とは?
「コーンフレークは朝から楽して腹を満たしたいという煩悩の塊」というミルクボーイのネタにもあるように、欲望や怠惰(たいだ)的なものを連想します。
煩悩=三毒・貪瞋痴(とん・じん・ち)
というのは知られた話ではないかと思います。
- 貪欲:欲しいものなどに対して執着する心
- 瞋恚:怒ること、腹を立てること
- 愚痴:偏見、誤解、無知
これが、煩悩の根源と言われています。
苦しみは、何かに執着することから生まれます。
分かりやすい例を出せば、
良い暮らしをしたい、出世して認められたい、幸せになりたい、等ですね。
それに執着し、叶わなければ苦しみが生まれます。
あるブランドの商品が
欲しいと思えば、手に入らない場合は嫌な気持ちになります。
欲しいと思わなければ、手に入らなくても気になりません。
なので、煩悩が少ないほどに楽になれます。
煩悩は、生きていく上で苦しみの原因になります。
願いを持てば、叶わない、断たれた時に苦しみに変ります。
大切なもの、好きなものがあれば、失ったとき、なくなったときに苦しみに変わります。
生きている限り、肉体を保持しなければいけません。そのために煩悩は本能として組み込まれています。
その苦しみから少しでも逃れるためには、精神を鍛えて欲望を制するしかないかもしれませんが
この「マズローの欲求5段階説」の図をみると、程遠い世界にも思えます。
- 生理的欲求:食事・睡眠・排泄・性的欲求などの基本的な欲求
- 安全の欲求:危険や恐怖を避け、安全・安心に暮らしたいという欲求
- 所属と愛の欲求:家族、友人、地域、会社や学校等、人と繋がりを求め、団体へ属したい欲求
- 承認の欲求:尊敬や高い評価を得たい欲求
- 自己実現の欲求:自分自身の為の成長や自分らしさを目指す欲求
欲求を肯定することが、マズローの考え方です。基本的な欲求を認めて、満たしていけば、成長していく助けになるというものです。
悟りを開く過程で、多くの仏教は欲求(煩悩)の排除を目指します。発達心理学では欲求を満たして段階を進めていきます。
煩悩を消す方法はあるのか?
生きている限り煩悩は消えない
生きたいと願うことさえ煩悩なので、消すことはできません。
煩悩を消すことが出来れば、涅槃(ねはん)に行けるとききます。ぶっちゃけ「死」ですよね。生まれ変りもない「死」。
煩悩を消したいと思うこと自体がすでに煩悩なので、詰んでいるとしか言いようがありません。
実質的に煩悩を消す方法
上に書いたことを踏まえた上で、私が思う煩悩の消し方を書いてみます。
あくまでも、「ある意味」煩悩の弊害の一部が無効化されると私が感じた方法ですので、その点をご留意ください。
煩悩の苦しみをある程度無効化するには、
自分の持つ煩悩を「煩悩だ」と理解、認識することです。
良いこと、立派なことと思われるものさえも煩悩です。
例を出します。
家の近くの公共道路がごみで散らかっているので清掃した、道に迷って困っている人がいるので案内した、これも実は煩悩による行動です。
散らかっているからキレイにしたい、困っている人を助けたいも、本人の願いや希望だからです。
仕事で頑張るのも、生活を維持したい、会社で邪魔もの扱いされたくないという煩悩からです。
人は、快楽原則や現実原則に従って行動していると言われています。
自分にとって結果的に「楽」な行動をしているという意味です。
ごみで散らかった道の清掃なら、見て見ぬ振りよりも、清掃した方がその人にとって「楽」だったという解釈です。
それを
「自分は散らかった道を清掃した、だから立派だし褒められ感謝されるべきだ」と思えば苦しみに変ります。思うように感謝されなければ不満を感じます。
好きで掃除したんでしょ?と言われれば、強い怒りが湧いてくるはずです。
掃除をすれば徳が貯まります。感謝されないことで徳の消費を抑えられます。徳とカルマの法則的には、良い状況です。
食糧難の時代に、食糧倉庫の管理を任されたとします。
多くの人は、自分や家族のためにこっそり食料を盗みます。
ですが、絶対に盗まない人がいました。その人は栄養失調が元で病気になりました。
「なんて立派な人なのだろう」と、周囲は評価します。
ですが、その人が食料を盗まないことも煩悩です。盗みたくないという願望を実現させただけです。
その人にとって食料は「盗むくらいなら、餓死した方がマシ」で、盗むより、盗まない方が「楽」だったというだけです。
なのでこれも煩悩です。
今している行動が、たとえ人に高く評価されるものでも、「楽」を選んだ「煩悩」だと知ることが、煩悩の無効化になります。
立派なことをしても、感謝されない、報われない、成果が出ないということはよくあります。
それに対し、好きでやったこと、これは自分の煩悩、と理解出来れば苦しみは減ります。
何かをする時に、報われなくても感謝されなくてもOKという気持ちでやるのが、煩悩の苦しみから逃れる考え方になります。
これだけやっても評価されないなら嫌だと思うなら、やらなくても良いかもしれません。
「やらないと迷惑がかかる、怒られる」と思うなら、迷惑をかけたくない、怒られたくない、という煩悩です。
自分が今やっていることで、特に理不尽に思うものがあれば、この起点で考えていくとわだかまりが消えるかもしれません。
まとめ
- 煩悩の根源の貪瞋痴(とんじんち)
・貪欲:欲しいものなどに対して執着する心
・瞋恚:怒ること、腹を立てること
・愚痴:偏見、誤解、無知 - 生きたいという気持ちも煩悩
- 煩悩を捨てたい気持ちも煩悩
- 煩悩を煩悩と認識することで、苦しみが薄れる