男性社会は厳しいから、男は生きていくのが大変だというのは時折聞く話です。
男性社会の厳しさを「システム」としてとらえた時に、女性を排除するように機能していると知ることで、見えてくるものがあります。
今回書いている内容は、これを知ったことで目から鱗だったものです。
男女は不平等だとか、そういうことを書きたいのではありません。
男性社会の厳しさは、男性にとって害なだけではなく、女性にとっても害だという話です。それが、上手く心理を利用した方法だなと思ったので記事にしました。
男性はハードモードで女性はイージーモード?
男性に生まれただけで人生がハードモード、女性はイージーモードだ、という風潮が多かれ少なかれあるように感じています。
女性が結婚して専業主婦になれば周囲から「良かったね」と言われます。勝ち組とか成功とかそのような扱いです。
経済的に恵まれた男性に大切にしてもらっている幸せな人だと評価されます。
一方、男性が結婚して専業主夫になれば、周囲から驚かれて理由を聞かれます。無条件に褒められたり評価されることはまずありません。
経済的に恵まれた女性に頼った情けない奴だと評価されることがあります。
男性が泣き言を言えば「女の腐ったような奴」と言われ、
厳しい仕事に根を上げれば「男のくせに情けない」と怒られます。
これを女性の場合に置き換えます。
泣き言を言っても、女性だからと慰めてもらえて、
仕事の厳しさに挫折しても、仕方がないよねと納得してもらえるかもしれません。
ですがこれは
女性が泣き言を言わずに頑張れば「可愛げがない」と言われ
厳しい仕事をやりぬけば「女のくせに」と目障り扱いされるかもしれないということです。
家庭内の役割分担として、「仕事」「家庭を機能させる」に分けていることを述べているのではありません。
甘やかしで排除するシステム
上に書いた、女性への甘い考えは、女性の方が率先して主張する場合もあるのは知っています。それは甘やかされて育ってきたのが原因でもあります。
男性は、男性社会に取り残されないように罵倒叱責される厳しさですが、
女性に対しは、男性を追い抜かないように甘やかします。追いつき追い抜こうとすれば「女のくせに」と、女という理由で排除しようとします。
2人の子どもA、Bがいたとして、
Aには、ある程度の礼儀作法をしつけ、学校の成績が悪ければ叱ります。自分勝手な行動も許されず、規則正しい生活をさせます。
Bには、礼儀がなっていなくても、学校の成績が悪くても叱りません。わがまま放題でも、好きな時間に寝て食べても自由にさせます。
子ども視点で見れば、Aは可哀そうだ、Bがうらやましい、親に大切にされているのはBだ、と思います。
大人視点で見れば、大切にされているのはAです。Bは将来的に苦労するのは明らかです。
甘やかされ過ぎて、自立さえも難しい状態です。
男性社会において、Aが男性で、Bが女性です。
男性は、男性社会の基準に合うようにしつけられ、そうならなければ淘汰されます。
女性は、基準に合わせるというスタートラインにも立てません。
男性の作戦?
これは、男性が徒党を組んで、男性にとって有利な社会にしようという作戦とも言われています。
男性中心の社会が維持出来るように、
- 男性社会にとって落ちこぼれの男性
- 女性のすべて(一部象徴的な役割はのぞく)
を、社会の中心から排除しようとしています。
中心にいる男性は、
「自分は女性の味方ですよ」
「女性の良き理解者ですよ」
という顔をしながら、男性社会に通用しないように甘やかしています。
それも親切で思いやりのある行動だと信じでいます。
男女間で労わり合っているのを言っているのではありません。男性は女性にやさしくするなと言う意味ではありません。
思いやりを、男性中心の社会にするために利用されているのが問題だと思っています。
女性排除の例
男性ならば評価されることでも、女性なら非難されることがあります。
夫婦間で女性側の収入が高ければ、男性の怒りをかうことがあります。男のプライドを傷つけた無神経な女という扱いです。
「ちょっと高給取りだからといっていい気になるな」と言われ、家事への不満を言われます。
資産を持っていれば、「女が資産を持つとロクなことがない」と言われ、不動産があれば名義変更を求められることもあります。
学歴が高い、頭が良い、は「可愛げがない」と評されます。
女はバカなくらいが丁度良い、優秀な女性はとっつきにくいというイメージも、男性が有利な社会を作るのに都合が良いものです。
女性はみんなが社会の中心にいるべきだという考えではありません。(私は中心にいられるタイプではないし、行こうとも思っていません)
男性が、中心から離れると非難されるのがおかしように、女性が中心に行こうとすると排他されるのがおかしいと思っています。
男女関係なく、中心い行くのかそうでないのか選択できないのが問題です。
男女差別の議論で得をするのは誰か?
男女が平等ではないという議論がありますよね。
男性側は、女性は楽でいい、優遇され過ぎていると言います。
女性側は、女性は楽ではない、いざという時に優遇されるのは男性、と主張します。
この議論は、上に書いた社会の中心から排除されている
- 男性社会にとって落ちこぼれの男性
- 女性のすべて(一部象徴的な役割はのぞく)
の、二者間で行われています。
男性社会の中心にいる人は「文句を言う暇があるならば成果を出せ」としつけられているので、このような議論には参加しません。
このような社会を作ったのは、男性社会の中心にいる人たちなのに、
その中心から外れた者同士でいがみ合っている状態です。
なので、男女差別の議論で得をするのは男性社会の中心にいる人たちです。
その二者でつぶし合っているのなら自分たちには被害がきません。
二者で欠点を言い合っている状態なので、自分たちが創った問題点もそんなには気付かれませんよね。
「計画通り」という思惑が漏れ聞こえてきそうです。
まとめ
優秀な女性は排除され、そうでない女性は勝手にイージーモード扱いをされ妬まれるようなしくみになっているような気がします。
ですがこれは、女性が徒党を組み作戦を練って、男性だけが有利にならないように出来なかった結果とも言えるかもしれません。
私はいわゆる優秀な女性ではないので、排除されることはありません。時折「女性は優遇されてずるい!」という意見の流れ弾に当たっている感じです。