「快楽原則」と「現実原則」を知り心を楽にする

心の話
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心のしくみを知るだけで、楽になることがあります。

私にとってそれが、「快楽原則」と「現実原則」でした。

今回の記事ではどのようにこの言葉を受け取って、楽になれたのかを書いていきます。

快楽原則と現実原則

快楽原則は、好きなことをする、嫌なことはやらないというもので、

現実原則は、好きなことをやりたい、嫌なことはやりたくないけれど、それが現実的でない時に、我慢したり別の方法で欲求を満たそうとするものです。

快楽原則とは?

心理学者フロイトの提唱する、心的機能を支配する基本原則の一つです。

快感原則、快 ー不快の原則ともいいます。

人は、不快を避けて快を求めるものという考え方。

人の心は、エス(原我)・自我(エゴ)・超自我に分かれます。

  • エス:本能や欲求
  • 超自我:道徳心や理想(後天的に作られた要素)
  • 自我:エスと超自我の調整役

エスはこの快楽原則に支配されていると言われています。

現実原則とは?

快楽原則に従って行動すると、法律違反になったり迷惑をかける場合が多くあります。

そうなれば問題です。快を求めたのに不快な結果になります。

なので超自我で抑え込むか、自我で調整します。

どうしても欲しいけれど手が届かないブランド時計があったとします。その時の判断はこんな感じになります。

エス→何が何でも買う(無理なローンや借金)
超自我→買うのを我慢する
自我→別の安い時計で我慢する

エスが快楽原則で、超自我と自我によりエスを抑えたものが現実原則です。

快楽原則と中島らも

中島らも

(1952-2004)1952年、兵庫県生れ。大阪芸術大学放送学科卒業。印刷会社勤務、コピーライターをへて、作家に。小説、エッセイ、戯曲、コント、落語など、幅広い分野の作品を多数発表。1984(昭和59)年から10年間、朝日新聞で「明るい悩み相談室」を連載して注目される。1992(平成4)年『今夜、すべてのバーで』で吉川英治文学新人賞、1994年『ガダラの豚』で日本推理作家協会賞長編賞を受賞。1986年には劇団「笑殺軍団リリパット・アーミー」を旗揚げ、1996年にはロックバンド「PISS」を結成。その活動は多岐にわたった。2004年7月26日逝去。

新潮社

人間は原則的に快楽に則って生きている

私は中島らもさんの大ファンです。20代の頃(大昔ですが)は特に、本がボロボロになるまで読み漁っていました。

らもさんの本をきっかけに知ったのが「快楽原則」という言葉です。

アマニタパンセリナというフィクションのエッセイで近い言葉が書かれていました。

人間は原則的に快楽に則って生きているように感じる」というものです。

これは「快楽原則」のみを指すのではなく、「快楽原則」「現実原則」も含めて「快楽に則って生きている」という意味に受け取りました。

別の本には、このような例えが書かれていました。

戦時中に食糧倉庫の見張りをした人がいました。

多くの人は立場を利用して、こっそり食料を盗み、自分や身内の腹を満たしていました。

でもある人は、決して食料を盗むことなく勤めました。その結果餓死してしまいました。

人々は、「あの人は立派だ」「偉い人だ」と賞賛します。

でもそれは違うのだと。

その人は、餓死するよりも食料を盗む事が不快だったので盗まなかったと。

つまり、食料を盗むくらいならば、死んだ方がマシだ。という気持ちからの行動なので、立派でも何でもないという解釈です。

人は「快楽」を選んでいるだけ

自分嫌いで、どうしても自分を責めてしまうのがやめられないという状態があります。

それに対して、

  • 自分は「楽」を選んでいる
  • 人は「楽」を選んでいる

という考えで見ていくと、心を縛っている不自由なものがなくなります。

人は快楽を選んでいる

自分はなんてダメなんだ、他の人はあんなに立派なのに、と思ったとします。でも、立派な人は、そうするのが楽なので、そうしています。

自分は怠惰(たいだ)なのに、あの人は働き者だと思っても、その働き者な人は、働き者でいるほうが楽だから、そうしています。

勉強熱心なのも、知りたい欲求を抑えられないからかもしれません。

休まずに働くのも、休むのが怖いからかもしれません。

自分は快楽を選んでいる

今の状況が苦しいと思えるものでも「楽」を選んでいます。

「楽」だと勘違いして選んでいるのかもしれません。

例を書きます、

感情は、良いものでも悪いものでも、メリットを感じているから発生しています

強い怒りの感情が湧くのは、苦しいことです。ですが、怒りによって解決できると思っているから湧いてきます。

我慢するのも、そうしたほうが楽だから我慢しています。

嫌な仕事を我慢してやるのは、仕事しないで生活苦になるよりも楽だからです。

嫌な話を我慢して聞くのも、聞かないことで起きるトラブルを回避できた方が楽だからです。

自分を責めることも、自分が嫌いなのも、自分を受け入れるよりも責める方が楽だからそうしています。

「あなたのために我慢している」というのも、その人は我慢したほうが楽なのでそうしています。なので言われても罪悪感を持つ必要はありません。

実際に楽でないのなら、何が楽か、どうすれば不快かを勘違いしているだけです。

無理をして立派にならなくていい

人は、嫌なことをせずに楽なことをしているだけという起点は、選択の自由を作ります。

良い人になってもならなくても、

立派な人になってもならなくても、

楽な方、快の方を選べば良いだけです。

言われなくてもその原理の元で人は動いています。

私はそう考えることで、心の重荷が軽くなりました。

まとめ

※ らもさんはカネテツのCMに関わっていたので、アイキャッチ画像にちくわを使いました。

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